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「移植後11日〜15日」

「移植後11日目」

 腎臓の状態を示すクレアチニンの値が下がり、腎臓は自力回復基調にある。 やはり今日予定していた免疫抑制剤のメタトレキセート(MTX)はお休み。 毎日投薬している免疫抑制剤のサイクロスポリンも減量。抗菌薬のアムフォも休み。血小板輸血をする。 口内炎はまだ痛いがとにかくしゃべれるようになった。しばらく話せなかった反動で、 見舞客に向かってよくしゃべること・・・。
 毎週、火曜日は入院病棟で患者家族の集会があるので、のぞいてみた。 今日は出席が少なく、主催の女性チャプラン(牧師。この人はバプテスト派)の他には、 僕ともう一人の女性だけだった。この人は母が急性骨髄性白血病(AML)で、自分がドナーになった。 血縁であり末梢血幹細胞移植(血液中に循環している血液の幼若細胞を移植)なので、 移植後12日で生着して血球のカウントが上がってきたという。 でも、患者がとても感情的になっているのが悩みとかで、なかなか大変そうだった。 外来部門でも毎週一回、患者集会がある。こちらは患者本人も出席可。 こうした会に出て同様の境遇の人と知り合えるととても役にたつし、元気が出る。
 今日、介護者休憩室で知り合った若い娘は、電話で長々と友人に悩みを打ち明けていた。 「もう何日も3時間ずつしか寝ていない。自分の時間は1分たりとて、ないのよ。 病室にいて、あれをとって、これを動かして、それ手伝ってという感じで。いったいどうしたらいいの」。
 うちのカミさんなんか本当に手がかからない方だ。日本人ってやっぱり我慢強いのかしら。 米人の方がうろたえやすいのかな。おっと、パタン化しすぎか。まあ、個人差でしょう。
 米国人の家族の絆って意外と強いのが分かる。 多くの病室で、毎晩、誰かが患者といっしょに泊まり込んでいる。 無菌室でない一般病棟でかつ24時間面会自由というのは、そういう意味では家族にはきついと 言えるかも。

☆米国骨髄バンク(NMDP)のこと。

NMDPはアジア系が10万人以上登録されています。 さらにマイノリティ(少数民族)の登録者数を増やそうということで、アジア系は急激に増えている と思います。 登録者のうち、中国系が一番多いと思いますが、日系人も多くいます。 日本人がサーチして適合者がでやすいのは当然です。
 妻の場合、わりと一般的な免疫の型(HLA)だったということがありますが、 NMDPの1次検索で約80人がA、B座の4分の4の合致。 うち17人がD座まで確認ずみの6分の6一致。 そのうちこちらから希望して(コーディネーターも賛成)日系人と確認できる人という項目で 10人ほどに絞り込みました。 そして、DNAレベルでのさらに詳細なタイピングを行って最終的に3人が候補に残りました。 人種が違うと、HLAが合致しても、細かな点が違うのではないかと心配になるでしょうが、 多くの候補から選べる余裕があるときは、日系人(その他でも)ということで、絞り込んでくれますよ。
 妻の場合、日本国内のドナーからいただいていれば、早くて調整が96年12月中旬になるところ でした。
 10月下旬に再発し11月上旬に移植をしましたが、もし12月にしかできないということであれば、 もう一度、化学療法をして第2次寛解に持ち込もうとしたでしょう。 でも超強力化学療法後に再発したとき、第2寛解に入る比率はそれほど高くありません (4分の1以下?)。 ひょっとして移植をする機会さえ失ったかも知れないのです。やはりスピードは大切ですよね。

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 そうです。NMDPのデータベースから一致者がいるかどうかを調べる一次検索は無料です。 世界的にほとんど同じで、日本が例外。NMDPでの検索、日本人でもやっても悪くないでしょう。
 もっとも、多くの患者が日本と米国で同時に検索し、最終的に米国から骨髄をいただくことになると、 日本では多くのドナーが呼び出されはするが、途中でコーディネート中止になってしまうということが 起こるわけです。 これは倫理的な問題にもなってくるのではないかしらん。 まあ、世界ネットとつなげば、外圧で日本バンクのあっせん力強化にも拍車がかかるのでしょうが。
 日本バンクの型合わせの基準が最近変わりましたが、運用はどうなっているのかとまたまた疑問がわく。 希な免疫の型(HLA)の場合、すべて細部まで厳密に合っていなくてもとにかくドナーを見つけたい でしょうし、比較的よくあるタイプのHLAの場合は、候補者の中から一番条件が良い人をしかも 素早く選びたいでしょう。個別に優先項目が違うわけで、日本では、誰がこうした戦略を立てるのですか。 米国では医者と病院のコーディネーターと患者・家族が相談しながら決めます(そこまで興味を示さない 患者・家族も多いが)。 それにNMDPがわりと柔軟に応じます。ドナー選定は、まさに運命を選んでいるわけで、 どうやってそのドナーを決定したか、患者と家族が完全に納得する必要があります。
 またNMDPからは患者にサーチの過程が定期的に知らされます。 これは医者の凡ミスや、さぼりを防ぐためです。日本の仕組みでは、お医者さんがまじめにやらなければ、 全くヤミの中ですね。 「いや、なかなか見つかりませんね。ドナーさんにはいろいろ都合がありますから、 調整には時間がかかるんです」と言い訳していれば、内容はブラックボックスですもんね。
 これは告知率の問題にもつながります。日本では告知率が低いので、患者にサーチしていることを 知らせることができないという論理です。でも告知率は上がってきています。 検索申込書を、告知、非告知という選択制にすればどうですか。 告知の場合、骨髄バンクが患者にもサーチ過程を連絡するのです。 そしたら、お医者さんもプレッシャー感じてもっとまじめにやります。 (日本のお医者さんを非難しているのではないのです。闘病してきて、お医者さんの忙しさと、 すべてを完璧にできるわけではないということを、痛感したからです。 患者が質問しまくりチェックしないと、お医者さんはすべてに100%の注意が行くわけではありません。 やはり一番真剣なのは患者本人と家族ですから。患者とお医者さんは共同作業で闘うのですよね)
 米国でもドナーあっせんにかかる平均期間4カ月半のうち、実際の血液検査や日程調整にかかっている 時間はもっともっと少ないのです。 書類が机の上で眠っていたり、ファックス送信ミスでロスしたり、誰かの休暇や出張で事務が 滞留しているといった時間が大きいのです。 患者が事細かにチェックすることで、最終的に2、3週間の差は出てきます。 米国でもお医者さんは「ドナーさんの都合次第だから」と言い訳します。 実際は、自分がまだ指示を出していなかったりするのです。
 NMDPから提供を受けた場合の移植が名古屋第一日赤病院でしかできないのは、依然として不思議。 逆にJMDPは米国のどこの病院にでも送ります。 この限定がNMDPの規則なのか、単なる迷信なのか誰かが調べてみる必要がありますね。 調整、施設、骨髄運搬どれをとっても、名古屋に限定する理由は全くありません。 不可解なルールはすぐ撤廃してもらおうじゃないですか。 骨髄移植医なら、米国とのコーディネート調整をするぐらいの英語はできます。 それに、申し込み書などは定形の雛形(テンプレート)を作っておけば良いし・・・。
*では、また。長すぎてすみません。

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「移植後12日目」

 昨日の深夜、ちょっとパニックする。このところ口内炎が喉に広がり、気道が狭くなった感じを訴える。 鼻は鼻血で詰まっているし、「いったいどこから息をすればいいんだ」。 夜、寝入り端に、鼻も口もふさがったようになり、SOS。 喉の炎症を抑えるステロイドを緊急注射し、酸素吸入装置で呼吸支援。 医者は、腫れはおさまる傾向だし、気道がふさがる恐れはないというが、本人の恐怖は想像するに余りある。 妻は、昨日のようなことは嫌なので今日は一晩中起きていると言う。それで、初めて僕も病院に泊まり込む。 夜の病院の生活をかいま見る。泊まり込んでいる家族もパラパラいる。僕は結構眠ってしまった。 翌日、僕のイビキがうるさいのが病院中の評判になる。「君にもステロイドを打とうかと思ったよ」。 お医者さんのジョークにはまいった、まいった。
 それ以外は順調。熱は平熱。腎臓も回復基調。

移植後13日目」

 関心は相変わらずもっぱら、喉の腫れ。 ほっぺたの腫れは外観上も退いたが、喉の方はまだひどくなっているらしい。 とにかく窒息は恐怖(お医者さんが、そんな気配はないと言っても、恐怖は恐怖。 僕なんか、風邪気味で鼻が詰まっただけで、恐い夢を見るもんね。けた違いに恐いのでしょう)。 それにしても、お医者さんや看護婦さんによって、患者の不安を取り除く能力には歴然と違いがある。 中には、まじめに取り合わず、不安を増幅してしまう人もいたりして。 腎臓がかなり回復したので、免疫抑制剤のサイクロスポリンは本来の50%レベルの量に増やす。
 僕は、昨日は「食品衛生」、今日は「介護者ノウハウ」のレクチャーに出る。 ここでは入院は最短期間にして通院に回す方針なので、介護担当者が勉強することがいろいろある。 退院までに家族は数コマのレクチャーに出席することが義務づけられている。 「割れた玉子には注意」「こんなときにはすぐ救急車を」などなど。 100ページぐらいのテキストがあり、さらにクラスごとに資料が渡される。 高齢の人が介護者になる場合などは、自分にできるかどうか、プレッシャーでつぶれそうになる 場合もあるとか。 でも、よくマニュアル化されているので、不安になればこのマニュアルに戻れば安心できる (僕らには、英語なのがしんどいが)。
 平熱。血小板輸血。

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「移植後14日目」

 穏やかで順調な日。 お医者さんは「まだカウント(血球数)には表れないが、骨髄が育ち始めているころ」という。 生着(ドナーの骨髄由来の血球が患者の中で育っていることが確認されること)を待つ日々。 同時に、移植後の死因の第1位であるGVHD(移植片対宿主病。簡単に言うと逆拒絶反応)に 対する心配は高まるが、GVHDがまったく出ないと再発率が高いので、マイルドに出るのが ベストらしい。 今月の病棟担当医がGVHDの世界的権威なのは、ひとつ安心材料だ。
 最近あまりやっていなかった、病棟散歩を少しする。 トレーナーが来て筋力トレーニング。パートナー役のトレーナーがぐらつくぐらい、まだ力が強い。

「移植後15日目」

 熱が少し出たり、下がったり。 念のため、アムフォテラシン再開。 腎臓はほぼ平常値に戻ったので、サイクロスポリンは通常ドースに戻す。 薬が増えると、口内炎がまた少し腫れてきた。 痛み止めのモルヒネと吐き気止めの薬の副作用で、眠くてボーっとしているときがある。 エキササイズなどの活動とのバランスが難しい。

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「移植後16日〜20日」

「移植後16日目」

 比較的平穏な日。昨日の胸部X線はOKだったし、平熱。口内炎は相変わらず痛い。 お医者さんは「ずいぶん良くなった」というけど、患者にしてみれば、まだ痛いのだから、 あんまり慰めにならない。
 頑張って病棟9週。歩けるようになってきた。 僕も体がなまってきたので、病院ではエレベーターを使わずに階段を登ることに決めた。 まず、「隗より始めろ」なのだ。 妻は、しばらく読んでなかった「らくだのHP」のログをまとめて読む。興味があるので、この集中力。 キモの影響で視力や視野に多少問題が出ているが、ラップトップのバックライトなら、比較的楽なよう。
 子供はマイケル・ジョーダンの映画「スペース・ジャム」に行ってきて大喜び。 次の週末はサンクスギビングで4連休になる。学校がないのは辛い。 どうやって、子供の機嫌を持たそうか。友人がミニ4駆を日本から送ってくれた。 うーん、相当アメリカぼけしてきたが、こんなものが日本では流行っているのか。
 今日、担当医(ギリシア人)がいきなり「コンニチハ、イチ、ニ、サン、シ、ゴ・・・」とやったのに は驚いた。 彼なりになんとか患者家族と心を通わせようと努力しているのだ。 ギリシア語の数字を尋ね返したら、「トライ(3)、ペンタ(5)、オクト(8)、デカ(10)」など、 どっかで聞いた言葉だ。 トライアングル、ペンタゴン、オクトーバーなんかに入っている。 妻はよくデカドロンという薬をもらっているが、10角形の分子構造が入っているからということだった。 ギリシアってやっぱり歴史が深いし、医学に強い。

☆Nさん。お世話になっています。
 どなたかのホームページから白血病関連日英単語集をプリントアウトしたのですが、 あれ、NさんのHPだったのですね。あれは偉業です。妻のベッドサイドに置いてあります。

☆「心付け」:どうなんでしょう。今、日本で心付けの習慣ってどれくらい残っているのですか。 患者の世代によっても違うのでしょうが、まだ渡している人が結構いるのではないですか。 少なくとも、出せば、受け取らない医者はいないのではないでしょうか。みなさんの場合どうでしたか。
 ちなみに米国の場合、お医者さんが「理由がないものは受け取れない」と断りますし、 ナースステーションにお菓子をもっていくようなこともまれです。 医療スタッフへの感謝の気持ちは、カード(葉書・手紙)を送ることで示します。
 では、また。

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「移植後17日目」

 今日も平穏な日。 また子供に発疹が出たので明日の医者の予約を取る。妻との面会は見合わせる。 カウントがそろそろ上がってくるころだろう。

☆☆教えて下さい。
 東京の白血病医でおすすめはどの先生ですか。 米国での治療がひと通り終わったら、東京に帰国してフォローアップ治療を受けようと思っています。 おすすめありますか。米国との連絡引き継ぎをいとわず、患者とのコミュニケーションを大切にして、 もちろん医学的知識と経験は申し分なし、という先生が理想なのですが・・・。 まず先生と病院を決めて、近くにアパートを借りて、子供の学校を決めて・・・。 少し気が早い話だけど、そろそろ考え始めなければ。

「移植後18日目」

 熱が少しあるが高熱にはならずにすむ。ここ数日とほぼ同じような日。 カウント(血球数)さん、早く上がってこーい。

「移植後19日目」

 朝、高熱。あとで下がる。ひたすらカウントを待つ。 生着までもうしばらくかかることもありえるので、念のため医師団は、家族からの「顆粒球成分輸血」 (白血球輸血)を考慮し始める。これで抵抗力を高めて感染リスクを下げる狙い。

「移植後20日目」

 今日はサンクスギビング(感謝祭)。 昼は元患者家族がスポンサーになったボランティアオフィス主催のランチに出て、 夜はあるボランティアのお宅でのディナーによばれる。 しばし楽しいひとときを過ごしたが(昼も夜もターキーをお腹いっぱい食べたので、しばらくターキー には食指が動きそうにない)、やっぱり頭の中はカウントのことばかり。 待つのはつらい。熱は上がったり下がったり。

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「移植後21日目〜25日目」

「移植後21日目」

 まだカウント上がらず。じりじりしてくる。 21日目は目安となる日で、これを超えると生着が「遅め」とされる。 もっとも、妻の場合非血縁ドナーからの移植であり、事前にきついキモセラピーを多くしているので、 数日遅くなってもおかしくない。 生着がおこらない「拒絶」は、少ないとはいえ3〜5%の患者で起こる。 そんなことはありえないと思うが、心配でないと言えば嘘になる。 その場合はドナーに再度の骨髄提供をお願いすることになる。 カウントが上がるのが遅目で、ニュートロパニア(白血球がない状態)が長くなると、 感染症が暴れ出すリスクが増える。 医師団は私からの顆粒球(白血球の一部)成分輸血を準備することにした。 GCSF(顆粒球コロニー促進因子)を注射して、翌日、血液成分分離(アフェレーシス)装置に 3、4時間かかるというやり方だ(その間、子供の世話は誰がする? 学校に行っている間ならよいが)。 これをしばらく続ける。顆粒球成分輸血が確実に有効だという論文はまだないが、 多くの医者が効果があるという心象をもっているらしい。 輸血した顆粒球(好中球、好酸球、好塩基球)が、感染からの初期防御を助けるはずだという理屈だ。 免疫系の細胞(T細胞、B細胞)は分離血液への放射線照射で事前に破壊されるので、 本人、骨髄ドナー、顆粒球ドナーの3者の間での免疫系の混乱を引き起こすことはない。
 私は妻の介護と、子供の世話と、ドナーとの一人3役になる。 ちょっと大変だが、私の顆粒球が少しでも妻の役に立つならうれしい。 介護するのと物理的に血を提供するのは気持ちが少し違う。ドナーになるときの気分の一端を味わう。 ドナー検査用の採血をする。ポイントはCMV(サイトメガロウイルス)が陰性か陽性か。 陽性だと、顆粒球輸血はやらないとのこと。 また、医師団は本来ならば28日目に行うマルクを22日目の明日行うことにする。 骨髄の状態を見れば、生着しかかっているかどうかが分かるからだ。

「移植後22日(生着)」

 やった。ついにカウントが上がってきた。 早朝、ドナー検診を終えて入院病棟に来ると、カウントが上がったと教えられる。 主治医と小踊りして喜ぶ。妻は「勝手に心配して勝手に喜んでいる」とばかり、少し迷惑そう。 そう、口内炎はまだ痛いのだ。 ドナーになるはずだった私は正直言って少し拍子抜けのところもなくはない。 次はGVHがマイルドにすむようにと願うばかりだ。 カウントが上がったので、私からの顆粒球輸血は中止。マルクも平常通り28日目に戻す。

☆Lさんの友人のこと。
骨髄採取病院がないってどういうこと! (注:Lさんの友人は骨髄ドナーがみつかった。 だが、ドナーのいる地域の骨髄バンク指定病院のスケジュールが一杯で、骨髄採取の日程が入らず、 ずっと待たされている) そんな理不尽なことがあるのですか。 採取ってそんなに難しい技術だとも思えないし、施設もいらないし・・・。 どこか最寄りの空いている病院を探してそこまでドナーの方に行っていただくってできないのですか。 そこで採取してもらって運べばいいと思うんだけど。なんで。なんで。とにかく、頑張って欲しい。

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「移植後23日」

 カウント上がり続ける(みなさん、応援ありがとうございました)。
 急速な体重増加と、モルヒネからくる軽い意識混濁が今日の関心。 前者は肝臓、腎臓が両方とも調子が悪くないので大きな問題はなく、単なる電解質のバランスと メタボリズムの変化によるものだろうとのこと。 後者は、夢見がちになり寝言が多くなるだけのことだが、本人も薄々自覚して少し当惑ぎみ。 カウントが上がり、口内炎が落ちつき、モルヒネの投与量を下げれば収まることだ。 GVHD(移植片対宿主病)の兆候見られず。このまま出ませんように。
 前言の若干の訂正:非血縁の場合、GVHが全くないのにこしたことはないそうだ。 マイルドなGVHDがあった方が再発率が低くなって総合的には予後が良いというのは、 血縁のとき言えること。 もっとも、非血縁では7割のケースで何らかのGVHDが見られるから、 GVHDが全く出ないことは少ない。
 米国では12月4日から、ASH(アメリカン・ソサエティ・オヴ・ヘマトロジー=全米血液学協会)の 年次大会がある。この間はお医者さんがそっちの方に出払ってしまうのだろう。 患者としては、学会より病棟を大切にして欲しいものだが・・・。 何らかのブレークスルー(画期的発見)が発表されるなんてことは少ないだろうし。 お医者さんも「ギョーカイ(業界)」してるっていう感じがなきにしもあらず。
 ちょっと八つ当たり気味だが、本当に再検討が必要なのは「研究医が病棟もみる」という リサーチ型病院の今の体制だろう。 研究重視の医者と病棟重視の医者の2つのコースを作って2極分化し、 病棟重視の医者が先端治療技術を勉強し続ける仕組みを作った方が、 病棟運営はうまく行く(治癒率も上がる)と思う。 1年のうち2カ月しか病棟をみず、いつもはネズミの遺伝子組み替えなんかを研究しているという お医者さんが多い(ほとんどは大した実績を上げずに終わる)。 これでは患者への接し方や、治療現場のあらゆる場合を想定した勉強が進むわけがない。 病院内の人事評価や世間での名声が論文の数に基づいている限り、変化は期待できない。 治療成績や患者からの評価が一般に流通するようになり、それをもとに患者が医療機関を選ぶように なれば、少しは変わるだろうが・・・。 もっとも米国でも改革が始まっている。 ここでは病院は国立・公立ではないから、研究はカネを使うだけで収入を生まないという理由で縮小 されている。 患者のことを考えたのでなく純経済的理由からだが、経営陣にとっては病棟にいかに患者を集めるか (集客)が関心になり、多少は患者へのサービスを考えはじめてはいる。

「移植後24日目」

 意識混濁ぎみ。原因のモルヒネ系鎮痛剤ストップする。幻覚に追われて体も気も休まらない。 幻覚抑えるための薬(ヘルド)を打つが、その副作用が出て、またコティンジェンとかいう薬で 打ち消す。いったいどうなっているのやら。鎮痛剤を減らしていくのが少し遅れたような気はする。 疼痛対策の専門医が毎日来て、痛みと薬の量を検討評価していたが、「まだ許容量です」の 繰り返しだった。
 じっとしていられず、あちこち動きたがる。血小板値が低いので心配になる。 転倒や点滴ライントラブル防止のため、部屋に看護補助員がずっといる体制にしてもらう。 お医者さんに何度言っても煮えきらなかったが、看護婦さんに言ったらすぐに手配してくれた。 それぞれつっつくべきところが違う。コツを覚えるのがやっかいだ。 念のための頭部CTスキャン異常なし。

「移植後25日目」

 相変わらず関心は意識混濁。意識混濁というきれいな言葉では伝わりにくいかもしれない。 末期ドラッグ患者風のヘロヘロ、ベロベロ、アッパラパー状態なのです。これはとっても恐い。 トラウマ(精神的外傷)になりそう。 医者は一過性のものというが、これは本人にも家族にもとっても不安。正直言ってオドロキだ。 こんなときのお医者さんの家族への精神的サポートは十分ではない。 「一過性」の一言ですませるのでなく、不安にもっと親身につきあって欲しい。 モルヒネ系の薬を止めてからも混濁が続いているが、あと数日続くこともあるとのこと。

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「移植後26日目〜30日目」

「移植後26日目」

 子供の発疹再発。学校を休む。 妻が不安を覚えて、私が一番そばにいなければならないときに限って、これだ。 子供の医者は、念のため数日発疹の経過を見るまで、妻とは隔離しろという。 というわけで今日は病院に世話と見舞いに行けないのだが、病院に洗濯物がたまって着替えも なくなってきたので、夜、子供を連れて病院へと乗り込む。 お医者さんと看護婦さんにかけあったら、意外にも子供がナースステーションに入るのはOKとのこと。 ナースステーションに子供を預かってもらい。その間に妻の部屋に行き、しばし面談。 意識混濁はほとんどなくなった。 子供は看護婦やお医者さんとパソコンでマインスイーパ・ゲームをして、大喜び。

「移植後27日目」

 意識ははっきりした。口内炎回復方向。血球数が上がってきたので、炎症は自力で治せるとのこと。 鎮痛剤変える。意識混濁はモルヒネ系鎮痛剤だけでなく、免疫抑制剤や抗生物質やもろもろの前投薬も 複合して起こったとのことで、せっせと薬の減量と切り替えにはげむ。 免疫抑制剤のサイクロスポリンはなんとフジサワの「FK506」に切り替わった。 かつてこれでフジサワの株価が急騰したという例の薬だ。 日本びいきするつもりはないが、「FK506の方がすぐれているし、副作用が少ないのではないか」と 尋ねてみた。 それには「まだ分からない。副作用が少ないというより違った副作用がある」という慎重な返事でした。 途中で切り替えることによる問題はまったくないとのこと。
 今月の病棟医に東京のお医者さんのことを聞いたら、3人のリストをくれた。

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「移植後28日目」

 意識混濁の間に不眠が続いていた反動で眠りこけている。骨髄せんしする。 この痛み止めのせいもあって、本人は「眠い・だるい・調子悪い」を連発する。 病院に飽きたのか、人恋しがる。申し訳ないが、外見はとても調子よく見える。 あらゆる数値も申し分ない。 しばらくエキササイズができなかったので、今日から毎日トレーナーに来てもらうことにする。 今日はとりあえず病棟4週とエキササイズ1セット。そろそろ口からの栄養摂取を始めなければね。
 今月の病棟医があすから交代。新旧医者が病棟を回る。気心が知れた頃の交代で残念だ。 次の担当医はベテランの女医さん。世話になった女医さんはこれまで6人ぐらいいるが、「一番恐そう」と妻の評。
 子供の発疹の経過を見せに医者に行く。妻からの隔離解ける。これで明日からはもっと妻の世話ができる。
 カウント上がったので、アムフォテラシンBはストップ。抗生物質もさらに減った。 腎臓、肝臓の指標値は抜群に良い。来週中には退院か。

□移植後29日目

 骨髄せんしの結果はOKと言われる。病棟約10周。みぞれ3カップ、フルーツ一口を口からとる。 Mさんに送っていただいた「免疫」ビデオいっしょにみる。 ドナー経験者の話のところで、自分のドナーのことを考えたのか感涙にむせぶ。

□移植後30日目

 スープ2杯とアイスクリーム2個たいらげる。 一日に水分5カップ(1000CC)と550キロカロリーを採るという第一目標をもらう。 ここまで行くと一日10時間の点滴で済む計算とのこと。エキササイズも少しずつ増やす。 こうして少しずつ目標をこなしていくと、退院が近づいてくる。

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「移植後31日目〜35日目」

□移植後31日目

 スープ6杯とみぞれ3杯、バナナ4分の1、ベビーフード2つを平らげる(僕の知っている範囲で)。 病棟6周歩く。免疫抑制剤は経口に切り替わる。退院は今週の金曜か来週の月曜日の公算大と告げられる。
 GVHD(移植片対宿主病)による口内炎確認される。ステロイドでうがい。 「そもそも口内炎があったので、白血球が消費されてカウントの上がりが遅かった。 口内炎のところに白血球(とくにTセル)が集まったので、GVHDの口内炎が出た。 Tセルは口に集まっているので、他の場所にGVHDは出にくいはず」。 というのが素人なりの推測であり希望的観測だが、非科学的なのだろう。
 最近マスコミの話が盛んでしたが、なんと、うちにも来てしまった。 読売新聞編集部科学部の前野一雄記者が当病院を訪問。 いきなり部屋にやってこられたが、夜の電話取材ということにしてもらう。 テーマは「日米骨髄バンク提携」「日本での非血縁移植1000例記念記事」で、 来年1月頃と春頃掲載予定とのこと。
 日本の骨髄バンクを刺激するよう、自分たちの経験と、らくだやパティオ(ROMしてます)で学んだ ことを、約1時間かけてできるだけのことはしゃべった。 データベースで調べると、前野記者は自分の病気体験記を出版しているし、連載記事のチームとして 新聞協会賞も受賞している。

「移植後32日目」

 パタシアム(カリウム)の数値が高すぎる。 経口で食事が取れるようになったのに、人工栄養を落とさなかったので高くなってしまった。 カリウムを下げる薬をもらうが、これが最高にまずくて、ゲロゲロ吐く。 高カリウムの典型的な影響である心臓トラブルがないか心電図。視力が落ちたので眼科検診。
 退院が近づいたので、僕は今日、2時間の点滴ポンプクラスを受講する。 外来になってから、自分たちで適宜、人工栄養、水分、免疫抑制剤、抗生物質などを点滴しなければならない。 薬の管理・補充、ポンプの操作、薬を指示通り取っているかの確認は、介護者の責任だ。 衛生管理、安全管理、食事の準備なんかも介護者の守備範囲だから、介護者がみんな自信がなくて 不安になり、いらついてくる時期。

☆病院のメニュー。
患者の目(とくに日本人)からすると満足できないかも知れないが、はたから見るとなかなか充実した メニューだ。 1カ月ぐらい前にさらに拡充された。いつでも好きなものを自分で注文できる。 味も東海岸の病院のよりずいぶんましだ。免疫抑制患者向けのメニューだが、サラダ、生野菜も多い。 日本では感染症を心配して出さないだろうが、ハッチでは流水で洗えば問題なしとの研究結果が 出たからだそうだ。

☆患者家族への会社の処遇について。
アメリカでは意外に会社が熱心にサポートします。 社員が家族の骨髄移植で仕事を休む場合、3、4カ月の間、給与を出し続ける場合が多いようです。 もちろん、ちょうど解雇されそうな時期だったため、まったく仕事を離れられないというケースも 聞きました。 日本では患者を実家や兄弟、友人が世話し、稼ぎ手は勤務し続けて経済的に支えるべきという暗黙の 規範があるのではないでしょうか。 米国では、個人主義がベースにあるので、配偶者がまず第一の介護者になることが常識です。 ですから、会社もその点には理解があります。
みなさんの場合、会社が示した理解度はいかがでしたか。

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「移植後33日目」

 若手担当医が突然、担当を解かれる。ミスでもあったのかな。 彼は新米で腕はいまいちだったが、ハートはあった。退院のとき、彼がいないのは寂しい。
 日本に移動するときの保険の継続性について研究。米国の職場を離れても、最低18カ月間は米国の 保険が継続使用できる(ただし、保険料は自費になる)ということが分かった。 いつまでも保険にお世話になり続ける状況にはなりたくないし、ならないと思うが、いろんなケースを 想定して調べておくことは怠れない。
 退院が近いので、介護者向けのテキストをざっと読み返す。

「移植後34日目」(ついに退院!!)

 ついに退院した。明日が「13日の金曜日」なので、一日早くなった。 明日は、退院だけでなく、入院も移植も行われないのではないか。米国人も縁起をかつぐ。 思い返せば、生着が若干遅めで気をもんだが、全体としてはとても順調にきた。 たくさんの薬のリストと輸液をもって部屋を出る。看護婦さんと記念写真とる。
 骨髄せんしの結果の詳細もOK。 骨髄細胞の99%は男性染色体に変わっており、残りは誤差の範囲。 骨髄は完全にドナー由来のものに入れ替わったと考えてよい。
 退院したあと、そのままシアトルのダウンタウンをドライブ。 子供が妻に街のクリスマスのデコレーションを見せたいと言ったからだ。 アメリカのこの季節は最高にきれい。「生きて退院できてよかった」と妻。あとは、言葉はない。 電飾が涙ににじんでよけいにキラキラするのみ。
 家に帰ってさっそく妻は台所に立って子供に料理を作る。 無理しないかと心配だが、何か子供にしてあげたいという気持ちは痛いほどわかる。

「移植後35日目」

 外来に行く。看護婦さんら、みんなが祝福してくれる。 基礎的な検診。髄注(脊髄への化学療法)は来週半ばの予定。栄養士と相談。 下痢はおさまってきて、おかゆ、緩めのそばなどを食べている。外来の帰りに子供を学校に迎えにいく。 妻は久々に湯船につかってご機嫌。ボクは子供をインフルエンザの予防接種に連れていく。

☆Tさんへ。
「芸術と癒し」:ハッチはあまり熱心じゃないです。 移植専門センターなので、野戦病院のようで、とにかく移植という荒療治をやることに集中し、 中期的な治癒を考えている余裕がないのです。 そういうことは、紹介元の病院に帰ってからということなのでしょう。 前にいたニューヨークのスローン・ケッタリングはかなり充実していました。 患者のための大きなコミュニティセンターがあって、そこでコンサートが毎週開かれていました。 また、クラフトスクールがあり、妻は得意分野なので大好きでした(これをやっているときは すっかり痛みや吐き気を忘れているようで、驚いた)。
 何といっても、前の病院ではソーシャルワーカーのジーンさんが出色でした。 彼女は元モダンダンサー。肉体と精神の共鳴に興味を抱き、東洋思想も勉強(日本語も少しできる)し、 ソーシャルワーカーになる。 専門は日本の精神医の森田正馬研究で、今は倉敷市の伊丹仁朗先生の「いきがい療法」に凝っており、 それを米国で実践しようとしている。気功導引や太極拳もたしなむ。 多分、米国の「芸術と癒し」トレンドにも詳しいと思う。 ジーンさんは97年に日本に2回訪問する予定。たくさん講演をします。 もし、ジーンの話を聞いてみたい人がいらっしゃったら紹介しますよ。

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