海外闘病記
私の病気は、確認されてから約5年間、特に害がないので静観されていました。が、外資系のパソコンメーカに入社し、Houstonへの長期出張を控えて行った 血液検査でひっかかってしまいました。何もかもキャンセルして、入院、化学療法を行いました。薬は効いて、腫瘍が小さくなったので二ヶ月半で退院、会社 に復帰しました。人事からは海外勤務なんてとんでもない、と言い渡されました。が、退院して四ヶ月後に、仕事の都合でどうしても出張が必要になってしま いました。そして渋る人事を拝み倒して、一ヶ月だけという約束で渡米しました。渡米の際に、東京の主治医が持たせてくれた病歴のレターをHoustonで紹介 されたホームドクターが「これは自分で持っておいた方がいいから」と返してくれたことから、正式な病名と日本で受けた治療の名前を知りました。この出張 を機に、Houstonに2〜3ヶ月、日本に2〜3週間という生活になりました。治療が終わって7ヶ月目くらいから、腫瘍が活性化してきました。この時は、ま た日本で数ヶ月入院しなければならないかと思って、暗くなってしまいました。そして、ホームドクターからガン専門医を紹介してもらいました。



ガン専門医のclinicには、しっかりCancer Centerと名前がついていました。この病気は治らない、とはっきり言われました。でも、コントロールする薬は沢 山ある、とのこと。日本で使った薬は心臓にとても負担がかかるので一生に8回しか使えない。これは初耳でした。今回は、もう少し新しい薬で弱めの薬で治 療してみては、と勧められました。東京の主治医に確認すると、私の病気にはよく使われる薬とのこと。でも、日本では使う人が少ないので認可されていない のだそうです。試してみることにしました。治療費を聞いて飛び上がりましたが。短期出張のため、持病がカバーされるアメリカの保険はかけていません。 1万2千ドルをキャッシュで払わなければならなかったのです。



紹介された薬による治療は外来で行いました。もっとも、私が日本で受けた治療もここでは外来だそうですが。朝一番で30分くらいの点滴を一本、これが一週 間で1コースでした。吐き気止めもほとんど使わず、点滴を打ってもらった後、会社へ行き、夜の10時くらいまで仕事をしていました。こんなので効くの、と 半信半疑でしたが、徐々に効いて、腫瘍は小さくなりました。そのclinicでの治療風景は日本とはかなり異なっていました。かなり高齢のおばあさんでも、コ ーラを片手に自分で車を運転して来る人もいます。きれいにお化粧して、ハードロックカフェのTシャツにホットパンツ、足には真っ赤なペディキュアといっ た格好で。こんな風だと、気分が悪い時でも気が少しは晴れるかもしれません。



この薬での治療は月1コースで、私は4コース行いました。こんな調子でコントロー ルできるのなら、なんとかなるかもしれない、と思い始めた頃、人事か らチェックが入りました。病気がちな社員を海外勤務に近い状態にするのは感心しない、と。確かに、私の希望で滞在していたとしても、万一何かあった場合 、人事の責任も問われてしまうでしょう。でも、アメリカで治療する方が有利とわかった以上、できればアメリカで治療したいと思いました。日本でずっと働 いて、治療の時だけ休職して渡米、も考えましたが、何年も続くわけですから、経済的なことを考えてもほとんど無理でした。そんなとき、ガン専門医の言っ ていた「今はアメリカは景気がいいから、こっちで就職先が見つかるんじゃない?」という言葉がふと頭をよぎりました。こうして 駄目もとでトライしてみる ことにしたのです。



日本にいた頃から仕事を教えてもらっていたアメリカ人の上級エンジニアを訪ね、事情を話し、Houstonで働くにはどうしたらいいか、聞きました。彼女は何 がやりたいかを聞くと、すぐ電話をかけ「あなたのところで確かエンジニア募集してたでしょ。ガンのいい薬を見つけたから、Houstonで働きたいっていう人 がいるんだけど。」という調子です。その30分後には、近所のレストランで非公式のインタビューを受けていたから驚きです。ある部門でちょうど新しい仕事 を始めつつあったのですが、私が日本でやっていたのがその仕事だったわけです。それからは本当にトントン拍子で話は進み、日本の上司が日本人がドルで給 料をもらうリスクだけを心配してくれましたが、当時携わっていたプロジェクトを完了した後、快く送り出してくれました。社内では転勤扱いですが、日本の 会社を退職し、USの会社に入社しました。



ここで何より驚いたのは、「ガン患者(治療中)」ということが採用の際に何の問題にもならなかったことです。治療の通院で、遅刻、早退の嵐なのですが、時 間の埋め合わせは絶対するな、と言われています。それどころか、ある日、直属の上司がやって きて「休暇がいっぱいになっているから、とるように」と言っ た時には、一瞬、耳を疑いました。「病気のために沢山休んでいるから結構です」と言ったのですが、そういうのは休暇ではないそうです。差別すると大変な ことになるので注意はしていると思いますが、私のような普通の日本人の想像ははるかに超えていました。もう一つ良かったことは、アメリカの健康保険が持 てたことです。私の保険は、アメリカの保険としてはいい保険らしく、安心して治療を受けることができるようになりました。



日本の状況はどうなのでしょう。ガン患者は、差別されていないのでしょうか。今の会社でレイオフされた場合、帰国して就職口は見つかるのでしょうか。治 癒したならともかく、治療中となるとかなり厳しい状況だと考えて差し支えないでしょう。気のせいかもしれませんが、日本では健康な人の間には、ガン=死 という方程式がまだあるように思えてなりません。ガンというだけで、健康な人たちの社会の外側に位置してしまうような。ガンは安静に寝ていれば治るとい う病気ではないので、体力が許せば、いろいろな社会活動も普通にできると思うのですが。体調が悪いのならともかく、じっと寝てるのを社会が強制するのは どうかと思います。少し被害者妄想が強過ぎるかもしれませんが。



こうして薬でコントロールしながら一年数ヶ月経った頃、ガン専門医から、M.D.Anderson Cancer Centerというガン専門の病院で、私のタイプのリンパ腫の完 治を目指した治療を行っているので、一度、話を聞いてみては、と勧められました。骨髄移植を始めとして、新薬を中心としたコンビネーションによる治療も 行っている、とのこと。腫瘍が大きくなりがちで、毎年のように治療するのは、嫌になってきてい たので、とにかく話を聞きに行くことにしました。
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