ニューヨーク闘病記 (文:木下明美)
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今からちょうど2年前の1997年1月6日。 2か月前くらいから体調の不調を感じてはいたものの、こんな大変な事になるとは思いもよらなかった。前日の日曜日の
テニスで、腹部に異常なごろごろとした圧迫感を感じやっぱりこれはおかしすぎると早めに帰ってきた。普段から体力には自信があるのでまだもう少しプレーで
きるような気がしたが、めったに真剣に心配しない主人がやめとけ、と一言。翌日に婦人科であるドクターパンターへ急遽行くと、“こんなになるまでよく我慢
していたものだ。とにかく、早急に手術が必要です。”今から考えれば、前日、また夜テニスをしていたらどうなったいたかわからない。かなり大きな腫瘍がで
きているという。それもジャイアント級といっている。
あまりに大きくなってしまっているし、水も溜まっているので、どこに、つまり子宮なのか卵巣なのかさえもわからないという。パンター先生はその場で、血液
検査、超音波診断のテストの手配をしている。顔つきはかなりシリアスで、いつものにこやかな感じと違うことに気がつき、これは大変なことになったと思った
反面、まあ手術でできものをとってしまえば楽になると変に気が楽にもなった。今までは、かぜをひいても特に医者にかかるでもなく、3年程前に定期検診をし
て以来のドクターとの関わり。そして、この日が私達夫婦の人生のなかで思ってもみなかったCANCERという病気と取り組む第一日目となったのであった。
超音波テストを受けたが、とにかくあまりの腫瘍の大きさにラジオロジーのドクターがびっくりしてパンター先生に慌てて電話をしている。血液検査の結果をも
とにCTスキャンの指示がでた。映画やドラマのワンシーンでしかみたことのない機械のなかに自分がはいっていく様子がなんだか不思議でたまらずまさにこれは
“まな板の上の鯉”の状況だなと実感した。 2日後、パンター先生のオフィスに再度出向き、詳しい病状の説明と手術の日にちを決める事になった。CTの画像によると腫瘍は卵巣にあるらしい。血液検査の 結果では腫瘍は悪性でCANCERの疑いがあるとのこと。一瞬えっ?と思ったが先生は何も重要な事ではないかのごとく話を続けていく。血液検査の結果は問題な い人の場合でも陽性の反応がでることがまれにあるので、とにかく手術してお腹を開けて悪いできものをとって、麻酔で寝ている間に冷凍処理したそのできも のの生体検査の結果次第ですという。 病気の予備知識はほとんどゼロの状態である。私の母が、昔、卵巣脳腫で手術をしたことがあるので大体その程度のイメージしか本人の私でもない。そのイメ ージが頭の中をめぐっていると、先生は“子供が将来ほしいですか”と聞いている。あたりまえではないか。“はい。”将来、子供を産みたいと思っている人 のためにすべてとってしまわずに、温存の方法で最善をつくします、との説明をあつく語ってくれた。しかし、最悪の場合はすべてをとることになるので、そ の際は御主人の同意とサインが必要ですので待機していてもらいます、と言う。私はただ麻酔をかけられ痛みを感じる事もなく寝ていればよいのに、大変な役 割を受ける事になった主人はちょっとびびったに違いない。病状から起こり得る最悪の状況をリアルに語るアメリカ流の医者の対応に初めて接し、“これは最 悪の場合。あとで訴えられたくないから言ってるだけだよね。ドクターの言う事にのまれるな。”とお互いに言い聞かせながらオフィスを出た。 その時、CANCERの疑いはあるもののとにかく手術しなければはっきりしたことは言えないといったパンター先生だったが、今にして思うと、私を心配させない ためにその様に言ってくれたのだろうか?それとも、はっきりしない事実に関しては、あいまいな見解は患者に述べないと言うドクターの鉄則か?後日、病院 からの請求書や資料を整理していたら、その時の血液検査でCA125という腫瘍マーカーのテストをうけていた。数値も出ていた。とにかく、手術での確かな結果 がわかるまで余計な心配をする必要はないであろうと判断したそのときの先生の配慮に今では感謝している。 手術の日までのプレアドミッション(入院前)のあらゆる検査と手続きは勿論外来でやり、合理的なシステムとなっていた。手術前の食事から回復に向けてのオ リエンテーションはありとあらゆる点まで実に細かく説明される。ナースとの個人面談まであり、なぜ手術をするのか、現在の病状を自分の言葉で説明せよ、 あなたの宗教は何かなどを聞かれる。そして一番大事な事は、"痛みを我慢せずに言葉で伝える事“と何度も念をおされた。入院中の看護婦の交代時間は朝は何 時、夜は何時。交代の後に病室にまわってくるので必ず名前を覚えなさい、自己紹介も忘れずに、等など。ニューヨークで生活して5年がすぎていた私だが、本 格的な病気は生れて初めて。起きてしまった一大事に驚いている暇もなく、あ、これは意志表示が大事なんだ、と改めて認識すると同時にやはりアメリカはな んでも自己主張だよねと実感。ここでは、患者が主役。自分の体を管理するのは医者じゃなくて、私自身。これから起きる事はボーっとしてられないなあ。 そして1月13日。記念すべき切腹記念日となった。 私の手術開始時刻は午後1時。日本的な感覚ではまず考えられないが1時間前にいらっしゃいと言う。受付に 行き、着替えをすまし、あとはソファーで座って待つ。周りを見回すと割とというか、かなりなごやかな雰囲気だ。勿論、日帰り手術の人たちもいるわけだか ら気軽に来ている人もいる。プレアドミッションですべての検査を終えているわけだからやることは何もない。家族とともに座って本でも読んでればいいので ある。なるほど、1時間前のお客さん到着で充分なのだ。私もすっかりリラックスしてアメリカ人並みの神経になっていて、血圧は正常、体温も平熱、脈は60と いう平常心。選手時代に試合の前にこれくらいリラックスしていればもっと勝ってたのに、なんて思ったりもしていた。ナースに“あなたはもしかしてアスリ ートかしら?”きたきた、“そうです。私、プロのテニス選手でした。”で、会話が一段とスムースになっていく。このあとも、私の病院での生活のなかでテ ニスプレーヤーという特徴をもった日本人としていちいち無理に自己主張しなくてもいろいろな人から気をかけてもらうこととなった。 麻酔担当のドクターが状況を説明し、パンター先生とも面談。同意書にサインをする。先生はいつもよりかなりハイな表情をしている。眼がするどくランラン としていて“気”を感じた。私は歩いて先生と手術室へむかったが、途中で麻酔の先生があらためて真剣な表情で“あなたの名前をもう一度確認しますので声 を出して言って下さい”と聞くのだ。最後の最後まで本人であるということを確認するシステムに驚き、そして沢山並ぶ手術室がまるで大規模工場のような気 がして変な気持ちがした。主人と主人のボス倉岡社長が妙に神妙に“頑張れ”といっていて“でも私は寝ているだけだからね”かなり男性陣は緊張していたみ たいだった。 手術室はかなり広く、入るとクラシックの音楽がかかっていたのに驚いた。“ハーイ”と言いながら女性のドクターが気持ちよくむかえてくれた。手術台は真 ん中にあり、意外に幅が狭く、それを指差しながら、“あそこへどうぞあがって”である。やっぱりここはアメリカだと思いながらよっこらしょと手術台へ昇 り横になる。さあいよいよだ。 麻酔のくすりを入れ始めたら3秒位で眠りにつきます、と言われてはいたがまさかと思っていた。がそこからはすっかり眠ってしまい、気がついたのは回復室 に移され、鼻のあたりをがさがさされて目が覚めた。なんだかすごい音だったのをいまでもはっきり覚えている。時計をみると8時45分すぎ。6時間ちょっと手 術がかかったらしい。私のベットのまわりには点滴棒があり、点滴の袋と変な箱型の装置をつけている。ちょっと離れたところで男性患者がベッドに腰掛けて オレンジを食べている。その向こうでは立ったり座ったりしている人もいるではないか。ここはなんなんだろう、と思いつつも首から下は鉛のように動かない。 眼だけで様子をうかがっていると、ナースが“気がついたのね。もし痛みを感じたら、このボタンを押しなさい。痛み止めが注入されますからね”点滴棒につ いている変な箱型の装置の中には痛み止めがはいっており、コンピューター制御でコントロールされている。痛みを感じたら、手元のボタンを押すとすーっと 痛みがとれていく。日本では、“あのー看護婦さん、痛みがあるんですが痛み止めうってもらえますか?すみません”のはずである。自分で、自分の意志で、 痛みを感じなくする、ペインフリーなのだ。すごい。(この後、3日間程この箱とともに暮らす事になった。 これの正式名称はPatient Controlled Analgesia通称PCA) この医療機器にびっくりしている間、私の手術はどう行われたのかなどを考える事もなく、無性にお なかがすいてきた。この3日間、絶食の状態で望んだ今日である。あまりの空腹感に胃が痛いのか、手術のあとで痛みがあるのかがわからない。相変わらず、回 復室に寝かされておりどうなってるんだろう?そう思っているといきなり、ストレッチャーが運ばれ移動らしい。ものすごい早業でさっと私をのせかえてぐる ぐると病院内を走りやっと病室へ。ここでも早業でやっとベットに落ち着いた。ベットサイドに早速お花がきていた。主人は見当たらず、いったいどこにいる のかなと思っていると、ひょこひょこやってきた。時間は11時過ぎで長い一日だった。私が相当青白い顔色をしていたのだろう。かなり心配そうな表情だった。 “手術は無事にすんで、全部取らずにすんだって”あそうか、そんな大事なことがあったんだ。相変わらずの空腹感でそれを考える閑もなかったが一安心。そ の夜の担当のナースの夜通しのきめ細やかな看護に感動しながらの一晩を過ごした。 アメリカでは婦人科の手術は日帰りや、1日の入院ですませてしまうものが多いのが通常らしい。開腹手術でもビキニカットと呼ばれる横にメスをいれ傷がの こらないようにする事が多いのだ。横にメスがはいっていれば身体に負担も少なく術後の回復も早い。残念ながら私の場合は、異常な大きさの腫瘍と、CANCERの 疑いから開腹している間にいろいろな処置をとらねばならず大きく縦に約25センチほどのまさに“切腹”となった為、入院期間は6日間。これでもアメリカでは かなり長い入院生活である。 麻酔から覚め、意識がはっきりしてからわずか12時間後の翌朝8時に“さあ、立ち上がりましょう”とナースからはっぱをかけられた時にはさすがの私も驚いて しまった。首から下はまだ鉛のように重く、到底力が入りそうにない。そして痛いはずである。もじもじしていると、“ボタンをプッシュしながら立ち上がるの よ。私が後ろから支えているから大丈夫”と言っている。ボタン?例の痛み止めペインフリーの薬箱につながっているボタンだ。お腹がうわーとさけるのではな いかと思う痛みを感じながらボタンを押し、たちあがると、痛みはスーととれベットサイドにたっている。すごい。身体をふきましょう、というナースをボーッ と見ながらお腹をみると傷口の上に1センチ巾の白いテープバンがダーっと張ってあるだけではないか。傷口は縫いあわせられていると思っていただけに意外な 傷口の姿に驚いてしまった。少ししてパンター先生が現れ、今日はシャワーを浴びて少し病院内を歩きなさいと言う。シャワー?えー!と朝から信じられない展 開だ。傷口はWaterプルーフされているらしい。なによりも清潔第一。点滴棒をもったまま、ペインフリーの薬箱をつけたまま、恐る恐るシャワーにはいったが あっというまにでてきてしまった。病院内を歩きなさいと言われたものの、一歩を歩く事がこんなに大変な事とは考えもしなかった。何分も立っているとぐった りしてしまう。鏡でみると、がりがりになっている。体重は20パウンドも減っている。一晩あけて別人のようになってしまった。入院生活の第1日目はアメリカ の医療を肌で感じる第1歩となり、そして私自身も自分をみつめ直す大事な時ともなった。健康であるということは、当たり前の事ではない事に初めて気付いた。 手術は勿論成功したが、何時間にも及ぶいわゆる大手術だったらしい。通常ならば輸血が必要だったところらしいが、輸血なしで頑張ったためか3日たっても数 値がもとにもどらずすごい頭痛に悩まされ、午前中はものすごく調子が悪い。朝は頭に鉛がついているのかと思うほど重い。そんな中、パンター先生が訪れて くれるとかなり落ち着く。ベッドサイドに軽く腰掛け患者の目線と同じ高さで語りかけてくれる。雑談のなかでジョークとユーモアをまじえながら会話をすす め状況を明確に把握させてくれる。勿論、先生のオフィスにはいつでも電話してくるように、と常にケアしてくれているという印象と安心感を患者とその家族 に持たせてくれるのだ。日本の病院ではこんなことはまずないだろう。 私自身ががん、CANCERと言う病気であるという説明はパンター先生によって行われた。勿論、先生はベッドサイドに軽く腰掛け私と同じ目の高さである。大分、 気分もよくなり食事もはじめ体力もついていたので私の頭の回転もかなり回復していた。要約するとこうである。手術の際、摘出した腫瘍はその場で冷凍処理 して検査したところ、悪性。そして将来子供が欲しいという私の希望を尊重して摘出せずに残された卵巣の一部を病理検査に出しガン細胞がみつかった。従来 ならばこの状況でみつけることは不可能に近く、かなりまれなケースで見つけられた事自体、奇跡に近いと言う。見つけることができてあなたは幸運ですとも 言っている。手術中にニューヨークホスピタル婦人がん科のカプト先生がともに立ち会いすべての周囲の臓器を検査したところ転移はみられない。病院のTUMOR ボードのメンバーによってキーモセラピーという化学療法により治療をすすめることが今現在できる最善策であるという結論がでたことが伝えられた。これら の説明は勿論すべて英語である。私は5日前に切腹手術をした患者本人である。動転しない方が不思議だ。CANCER?キーモセラピー?病院のTUMORボード? ONCOLOGY?なんのこと?これがその時の本音だった。なんでまたこの席にうちの主人はいないんだろう。せっかく先生はいつも主人の来る時間にあわせて来て くれたのに。日本から看病のためにきてくれた姉もびっくりしてしまっている。“だからさ、アメリカの医者は最悪の場合を想定してシリアスに言うんだよ。 医者の言う事をまともに信じると身が持たないから。”と言葉にしようと思ったものの動転してしまってものすごく疲れてしまったのを今でも鮮明におぼえて いる。悪いできものさえ取ってしまえばそれで終わりと思っていたのになんだかすごい事になっている。まだまだ先が長いなあ。 |