2章「日米比較編:米国医療は日本の近未来」

1 「無菌室の神話」
◇無菌室はもう古い◇
 日本では骨髄移植すなわち無菌室と考えられている。骨髄移植には無菌室が必要で、移植日程の決定には無菌室待ちが大きな要因になる。患者にとって移植は辛く苦しい。その苦痛のひとつが無菌室に隔離されることである。無菌室なしには移植は考えられない。それについて疑いの声もない。
 だが、シアトルのフレッド・ハッチンソンがん研究センターをはじめとした米国の主要移植センターでは、ごく一部の疾病を除いてはもう無菌室を使わない。減菌室でさえなく、ごくごく普通の入院病棟の個室にすぎない。化学療法で入院するのと同じ部屋で移植が行われる。患者の部屋には、お医者さん、看護婦さん、備品補給係、レントゲン撮影係、清掃係などの人が多数出入りする。また、病院スタッフはジーンズやポロシャツなど思い思いの自由な服装が許されている。
 見舞い客も家族、友人、ボランティア含めて、24時間自由に面会・入室ができる。それどころか、患者は体力さえ許せば、移植直前でも直後でも、部屋を出て、廊下やホールをうろつく。むしろそれが奨励される。そこでは外から来た人と平気ですれ違ったり言葉を交わす。
 フレッド・ハッチンソンでは2年ほど前に無菌室から普通室への切り替えが終わった。もちろん、普通室になってからも成績は落ちていない。事前に大がかりに比較検討調査も行われた。結局、患者の感染症を防止するには、入室者の「手洗い」が一番重要であり、それで十分であると考えられている。同研究所では年間450例もの移植を行う。累積では症例は数千にのぼるだろう。この多数の経験から、外部からの感染症で致命的になることが非常にまれであることが分かり、無菌室なしの移植を志向したのだ。

next

「無菌室は高くつく神話だった」とハッチンソンのスタッフは振り返る。医療コストだけでなく、患者にも負担を強いていたのは言うまでもない。
 移植経験者の多くが指摘するように、無菌室は「非人間的」な側面がある。一番辛い時期に親しい人々との接触が制限され、狭いところに閉じこめられて不自由な生活を強いられる。このときほど、励ましと暖かみと触れ合いが必要なときはないのに、だ。
◇無菌室がネック◇
 また、ハッチンソンでは、患者にできるだけ運動をさせるように仕向ける。患者には病棟をぐるぐる歩くノルマが課せられる。移植後の血球数が一番低いときにも、病院フロアを散歩したり、部屋で自転車こぎをすることが奨励される。トイレも自分で行き、シャワーも一人で浴びるのが普通だ。
 肺炎などの感染症を防ぐには、常に肺の奥に空気を循環させておくことが重要だとされる。ベッドでじっとしていると、「もっと活動して出歩きなさいよ」と諭される。活動的になったり廊下を歩いても、それで感染リスクが高まるわけではなく、感染したとき生死をわけるのは残された体力と意欲だからだ。また、移植後は通常25日ほどで退院する。その後は、調子さえ良ければ移植後40日目あたりから、映画館やショッピングに行くさえ許されます。「あんまり混んでいる時間帯は避けなさいよ」という忠告だけです。
 「無菌室待ちの間に病状悪化。移植断念」といった話をときどき聞くが、この手の話にはショックを感じざるを得ない。「無菌室が神話」だとしたら、いったいこれはどういうことなのか。無菌室を使わないので無菌室待ちはなく、患者の入院期間が短いので空き室待ちもほとんどなく、ハッチなど一流の病院でも1カ月以内に受け入れてくれる。

next

-1-

 新しい治療法、医薬などについては米国などの先端情報が日本でもすぐ入る。医師は業界の論文を一生懸命読み、学会に出席して情報収集に努めるからだ。しかし病室の運用や介護体制など、運用面の情報はなかなか伝わらないようだ。
 日本は骨髄バンクの適合ドナー発見率では米国に並んだ。移植の成功率も遜色がない。しかし、コーディネートの時間が米国の2倍ぐらいかかる。この長さのひとつの大きな原因は、無菌室待ちの時間があるということだ。
 日本は高温多湿のため、無菌室がないと移植の成績が下がるという説があるが、医療関係者の無菌室の必要性についての十分な検証が望まれる。もし本当に日本では無菌室が不可欠であるという結果が確定したら、日本の医療界と患者は大きな重荷を背負っていることになる。比較的寒冷な土地(たとえば北海道)に家族の滞在施設も付属した大規模な移植センターを建設するぐらいの発想が欲しい。もし無菌室が神話だと判明したら、移植がもっとスムーズに進み、もっと人命が救済できるようになるのは間違いない。

next

2 「日本骨髄バンク異質論」
◇期せずして日米バンク比較◇
 日本人である妻は米国で白血病にかかり、米国で骨髄移植をした。だから米国と日本の骨髄バンクでドナー(骨髄提供者)を探した。そして米国のバンクからドナーを得た。両バンクでドナー探しをしたことで、期せずして、その違いがみえてきた。制度や仕組みだけではない。文化の差も浮き彫りになった。日本の骨髄バンクの抱える問題は、日本の構造問題の縮図にもなっている。
 実際にドナーをあっせんしてくれた米国バンク(NMDP=National Marrow Donor Program)、ドナー候補を絞るまで進んだ日本のバンク(骨髄移植推進財団、JMDP(Japan Marrow Donor Program)。いずれにもありがたく思っている。だが、感謝だけにとどまらず、さらにもう一歩考察を深めてみたい。
 実際にドナー探しをしてみて驚いたことは次のようなことだ−−。
△米国でドナーがみつかった。
 日本人だから米国でドナーが見つかる可能性は低いと思った。だが、最初の登録ドナーのデータベース検索(1次検索)で、おおぜいのドナー候補がリストアップされた。6分の6一致(詳しくは1章の第8項参照)のドナーが約20人、4つの「座」の適合性だけ調べた4分の4一致のドナーが約80人もいた。
△スピード格差。
 米国バンクは1次検索に1日しかかからなかった。日本バンクは1週間ほどかかった。さらに検索開始から実際の骨髄提供までにかかる時間を知って、仰天した。米国では約4カ月なのに対して、日本では約8カ月で2倍かかる。最短記録は米国でわずか1週間ほど。1カ月以内の例もたくさんある。日本では、最短例が4カ月で、米国の平均と同じ。

next

-2-

△米国のバンクで検索を依頼する日本人患者が少ない。
 日本ではドナー候補が見つからずに待っている患者さんがたくさんいる。待っている間に手遅れになった人も少なくない。しかし、米国バンクでドナー検索する患者はほとんどいなかった。何人かの助かる人の命をみすみす犠牲にしたことになる。スピード格差を考えると、日本でドナーが見つからないのを待つことなく、移植を考えはじめたら、最初から日本と同時に米国でも検索すべきだ。制限があるわけでも、自主規制があるわけでもないのに、医師はほとんどそれを考慮してこなかった。何たる怠慢。
△料金格差。
 日本では1次検索が有料。米国では無料だ。僕は「仕組みは仕組みだから仕方ない」と思った。でも、これにはキャロル(ニューヨークのスローン・ケッタリングのコーディネーター)が憤慨した。「困っている患者さんが、ドナーを探そうとしているのに、何でお金をとるの?」。もちろん、米国バンクもすべて無料ではない。要するに、世界でほとんどの骨髄バンクで1次検索が無料なので、日本の仕組みに違和感があったのだ。
△内外価格差。
 日本の骨髄バンクは国内向けと海外向けで、料金を別に設定している。海外向けにサーチしても、手間やコストはほとんど変わらないのに、算定根拠が不思議だ。(米国バンクも内外価格差はつけている)

next

△検査への「強制」参加。
 日本の骨髄バンクのドナー候補から検査用血液を受け取るとき、日本バンクがその料金に加えて、自分たちでもその血液を調査研究するための費用を請求してきた。これには、またキャロルが憤慨した。「研究したいなら自分の費用でやればいい。何で患者に請求するの」。僕が送金しようとしたら、キャロルは「その必要はない」という。「血液を送って下さい。研究費用は支払いません」と日本に連絡したあとだったのだ。僕は、「お世話になっているのだし、研究のためだから、それぐらいするのは当然のこと」と考える。だが、キャロルはあたかも患者の弱みにつけ込んでいるように受けとめる。たしかに、患者に治研や研究に参加してもらうとき、米国では患者に費用を負担させるケースは皆無だった。
△情報提供量の違い
 米国のバンクは移植センターについての詳細な情報を提供している。病院別・疾病別・移植数などは当たり前のことだ。日本のバンクではこうしたものが一切手に入らない。また、米国のバンクでは、ドナー検索の結果が患者あてにも届く。病院や骨髄バンクがさぼっていないことを確認するためだ。日本では、患者はただ、医師と骨髄バンクが最善をつくしていることを信じて待つしかない。

next

-3-

△日米不信
 「お互いさま」かも知れないが、米国の病院は日本のバンクに不信感がある。遅い、わずらわしい、やり方が違うといった点だ。ファックスでの、たどたどしい英語でのやり取りなので、互いにいらいらがつのり易い。わずらわしいというのは、患者の病状について細かく尋ねたりする点だ。米国では基礎的要件を満たしていれば、主治医が移植が適応だと考えれば認められる。ハッチで、主治医とわれわれは日本でのサーチも並行して進める考えだったのに、現場のコーディネータは「日本でサーチしてもやっかいなだけでどうせ間に合わない」と、過去の経験からの先入観があり、なかなか本気で日本との連絡に力を入れてくれず苦労した。日本のバンクは意識的に汚名挽回に努めないと、海外から「いっしょにやりたい」と思われないことを肝に銘ずるべきだろう。
△ドナーとの面会
 米国では移植後1年経てばドナーと患者が、双方が希望すれば、互いに名乗り出ることも、面会することもできる。日本ではそれができない。米国の経験では、これで大きな問題は起こっていない。ドナーが患者にお金をせびる、患者の健康状態が悪化したときドナーががっかりする、などといったマイナスはほとんどなく、交流によって両者の満足感が高まっている。

next

 われわれも1年たてばドナーと会いたいと思っていた。妻の死後、ドナーから手紙が届いた。ドナーは妻の死を知らなかった。妻にかわって私が礼状を書いた。「治癒はできなかったが、移植が無意味ではなかったこと」を、よく説明した。ドナーは現実を受け入れてくれたと思う。ドナーに事実を知らせることができて良かったと思う。
 米国のインターネット上の骨髄移植患者の交流場所では、患者の死を知ったドナーの発言がときどき出る。ドナーは現実をしっかりと受けとめているし、「また機会があればドナーになりたい」と書いている。もちろん、患者とドナーの面会記はもっとしばしば載る。ドナーと患者の交流を禁止するのは、まったくもって両者を幼児扱いしていると思う。
△日米バンクが提携していない(いなかった)
 ようやく提携が97年4月に成立した。しかし、日本の骨髄バンクが設立されて5年も経っており、提携が議題になってから4年も過ぎている。公約からもずいぶん遅れた。米国とヨーロッパの主要バンクはとっくにつながっているし、台湾、韓国、シンガポールなど日本のバンクより後に設立されたところも提携を終えていた。日本の遅さは異様だ。
△寄付への対応
 日米両バンクに寄付をした。米国バンクでは寄付時に使途を細かく注文することができた。日本のバンクではそんなことは一切できない。

next

-4-

◇自治と支配◇
 以上の事実の列挙から、「自治と中央統制」の違いが見事に浮き彫りになる。
 米国ではドナー選定過程に患者が口出しすることができる。コーディネーターと話をして経過を訊ねることもできる。医師が移植の方針を決めれば、保険がそれを審査し、承認されればバンクはそれを実現できるよう努力するという仕組み。要するに米国は「自治」の思想で貫かれている。日本では骨髄バンクが移植してよいかどうかの判定に大きな権限をもってきた。官僚(日本のバンクは財団法人であるが、厚生省の管轄下にある)に「支配される」システムだ。それを医師も患者も受け入れている。自治を嫌う医師、そして参加と自己責任を避ける患者。官僚が「標準」と考える以上のことを、敢えてやろうとはしない。これは官僚が万能ということを前提にしている危ういシステムだ。
 米国のバンクの方が、患者やドナーのためという目的意識がはっきりしている。日本のバンクは組織内の論理や医師への配慮が強く、患者やドナーに対するサービスレベルが低い。
 われわれにとって一番重要なことは次のようなことだ−−。日米バンクを同時検索してみて、米国での方が、かなり早く見つかった。「日本で発病していたら、日本のバンクしか検索しなかっただろう。日本のバンクからではドナー選定が間に合わず、骨髄移植を受ける前に再発し、骨髄移植を受けるチャンスがないままに終わった可能性が高い」。
 もはや日本のバンクは日本に住む日本人だけのためではない。日本人が骨髄を受け取るのは日本のバンクだけからとは限らない。バンクは国際提携と国際競争の時代にある。このままでは、日本のバンクが見劣りすることは、国内外にますます知られてしまうだろう。

next

3 「閉鎖的な日本の骨髄バンク」
◇閉鎖的な日本の骨髄バンク◇
 骨髄移植を希望しながらドナーが見つからない。その間に再発したり治癒不可能になる。あるいは、ドナーは見つかったが、手遅れになる。こうした痛ましい事態をどう避けるか、これこそがまさに危急の問題であることは、疑問の余地がない。
 日本の骨髄バンクではこれまで5124人(97年5月7日現在)の患者が登録し3766人に適合ドナーが見つかっている。7割の場合見つかるが、3割はダメなわけだ。3766人のうち、これまで1107人が移植を受けている。差し引き約2600人には、移植希望を取り下げた人だけでなく、ドナーを待っているうちに手がつけられない状態になって、移植を断念した患者も含まれる。
 バンクへの多くのドナー登録と迅速なドナーあっせんが求められるゆえんである。
 日本の骨髄バンクの登録者の数は約8万人。ドナー登録者が10万人いれば9割の患者にドナー候補が見つかる計算。さらに厳密に適合性を考えた場合は、30万人規模が必要になる。ドナー登録者数は伸び悩み、骨髄バンクがかつて掲げた目標を大きく下回っている。
 ところが米国の骨髄バンクには登録者が278万人(97年6月18日現在)もあり、まだまだ伸びている。設立されてまだ3年半の台湾バンクでも14万人に達した。さて、この数字をどうみるか。まず、日本は人口あたりのドナー数が少ないということを考えるだろうか。確かにその通りだ。
 もうひとつ重要なのは海外に骨髄提供希望者がこんなにたくさんいる、しかも、提供先の患者の国籍・人種を問うていないということだ。
 世界各国のほとんどの骨髄バンクは、国際提携をとっくにすませている。海外との骨髄の受け渡し実績も着実にある。それに比べて日本はとても少ない。世界の骨髄提供者の善意を活かしきらず、かつ世界の骨髄希望者にも貢献していない。これもまた異様なことだ。

next

-5-

△米国の骨髄バンクには10万人以上のアジア系登録者がいて、大きなアジア人バンクである。中国系、日系、韓国系が多数含まれている。
△日本人は同一性が高く、同一民族内のHLA適合率が高い。しかし、韓国系、中国系と適合する率はけっして低くない。
△日本のバンクに登録してまだドナーが見つかっていない患者約300人のデータを非公式に韓国骨髄バンクで検索したところ約30人に適合者がみつかった。
 妻の場合、米国の骨髄バンクでみつかった適合者約20人のうち全員がアジア人で、ほとんどが日本人あるいは日系人だったが、韓国人も含まれていた。日本のバンクでは適合者が5人みつかった時点で検索が打ち切られるので、残念ながら適合率の日米比較はできない。妻の場合は、簡単にドナーが見つかったので、免疫をつかさどる白血球の型(HLA)が比較的よくあるタイプだったようだ。でも、一般に米国バンクで日本人が適合者を見つけられる可能性はそれほど低くないと想像できる。
 日本で適合者が見つからない患者の15%に、海外で適合者が発見できるという仮定はそれほど荒唐無稽ではないだろう。具体的にいうと、世界のバンクで検索した場合、50人程度の患者さんにあらたに適合者が見つかる可能性がある。この50人が、移植したときの治癒率が7割で、しなかったときの治癒率が3割だっととしよう。約20人の人命が救えるわけだ。
 さらにいうと−−。すべての移植希望者が最初から米国のバンクで検索すれば、3割ぐらいの場合は候補が見つかるのではないか。米国では実際の移植までにかかる時間は半分だ。このうちほとんどの場合、米国バンクのドナーからの方が早く移植できるだろう。調整時間が8カ月の場合と4カ月の場合で、期待できる総合的な治癒率が7割と5割であるとしよう。これまた数十人の命に匹敵する重みとなる。

next

 欲しい人がいて、あげたい人がいる。それがつながらないだけで何十人という人の命がみすみす奪われている(ネットワーカー・ジャパンへの出展テーマでいうと、もう一人の私が、すでに骨髄バンクに登録しているのに、データベースがつながっていないだけで、すれ違いがおこっている)。官が、これを解決したら人命が救えると知っていて、積極的な対策を打たないとしたら、これは立派に無作為の罪(やった方がいいと分かっていて何もやらないことによって犯す罪)である。
 厚生省と骨髄移植推進財団も、骨髄バンクの国際化にようやく重い腰をあげた。しかし、そのやり方は真剣味にかけるし、お役所の発想そのままと言わざるをえない。
 4年前から公約していた米国バンクとの提携がようやく97年4月に実現した。喜ばしいことである。米国バンクから予想以上に多くのドナー候補が見つかることだろう。これまでやらなかった怠慢の罪も明らかになるだろう。だが、仰天するのは「2カ月ルール」が付けられたことだ。日本のバンクに登録してから2カ月の間は、米国への検索ができない。日本バンクが自主的に(勝手に)つけた条件で、逆に米国から日本に検索するときにはそんな条項はついていない。「骨髄バンクが関与すべきことではなく、主治医がいつでも必要だと感じたときに、日本バンクに依頼できる」と米国バンクのテレサ・ラッド・ステパニアックさんは言う。
 また、米国から骨髄を受け取るときの料金は約400万円の高額に設定された。原価を積み上げたわけでもなく、鉛筆をなめて作った数字である。
 どうやらせっかくの国際提携を振興しようと気がないらしい。あたかも骨抜きにしようとしているようだ。
 こうした制約は明らかに日本のバンクのためのハンデである。同時にサーチすれば、米国でけっこうたくさん見つかるし、米国の方が早いことがばれてしまう。「輸入」ばかり増えれば日本のバンクの意義が問われかねない・・・。また、病院の受け入れ体制が追いつかない。

next

-6-

◇人命第一主義の原点に戻れ◇
 小さなようで重要なことがある。日本のバンクが認定している全国約100カ所の移植センターすべてで米国からの骨髄が受け取れるのではなかった。米国バンクが移植センターとして認める基準などを満たす30カ所の病院に限られるのだ。しかし、このリストがなかなか公開されなかった。記者会見でも説明されず、ボランティア団体が要求しても明らかにされなかった。公開すると100カ所のうち、実績が多い30カ所が分かってしまう。実績が少ない病院・医師への配慮と思われても仕方ない。
 ある患者さんは心配する。「病院を選んで、日本でドナーが見つからず海外から骨髄をいただいて移植をしようと考える。そのときになって、その病院が受け入れ資格がないと分かるとする。転院しなければならない。費用も時間もかかる。いったいどうしろというのか」。別の患者さんの家族は自分の家族が入院する病院がその30カ所に含まれていないことにショックを感じた。すぐ海外バンクからの移植の予定があるわけではないが、それだけ選択枝に制約があるように思えるからだ。選択の幅は広いにこしたことはない。
 骨髄バンクあるいは厚生省は、いったいだれに向かって業務をしているのだろう。骨髄バンクは「ドナーの善意という公共の資産」を預かっているところだ。提供された骨髄がどこの病院で移植されたかの数字を公開するのは当たり前の義務だ。こうした基礎的な情報公開をしていないから、米国からの移植適応病院リストも出ししぶらなければならないことになる。
 台湾の骨髄バンクとの交渉過程にもドタバタがあった。腰が重い当局にかわって、運動を主導したのはボランティア団体だった。独自に台湾骨髄バンク(TCTMDR)と提携し、あっせん作業を始めようとした。厚生省は難色を示した。日本でふたつの骨髄バンク窓口ができてしまうし、官が台湾バンクと正式に提携するのが後手になるからだ。かといって、なかなか率先して日本バンクと台湾バンクの提携を推進しようともしなかった。結局、両バンクは正式提携を行ったが、官を急がせたのはボランティア団体の貢献が大きかった。

next

 交渉途中にある厚生省担当官の漏らした言葉がふるっている。「台湾とは国交がない。政府としてやるには問題がある」。あきれてため息が出るのみだ。それじゃあ、厚生省にあるパソコンからは、台湾産の部品はすべてはずしてあるのだろうか。それでパソコンが動くのだろうか。厚生省がひっかかったのは、台湾バンクがある宗教団体が設立母胎となっているということもある。しかし、骨髄バンク事業の精神は、国際赤十字のように政治・宗旨を問わない人道第一主義のはずである。
 問題点を整理してみよう。
○「純血幻想」: 日本の医療関係者には誤解がある。日本人が比較的同一性が高い民族であるというのは事実であろう。だが純血であるわけではない。長い歴史の中でいろんな民族が混血している。それに、日本には多くの在日韓国人がいるし、中国系の人々もいる。日本に長期居住している米国人が日本で発病した場合にも、「2カ月ルール」を適用するつもりなのだろうか。また外国にいる人はすべて異民族だと思っているのか。米国はじめ海外には多くの日本人・日系人が住んでおりドナー登録している人も少なくない。もちろん人種が全く違っても免疫の型が一致することもある。同じ一致度でも同一民族の方が移植がうまくいく確率が高いと考えるなら、日本人に絞って検索することも米国バンクでは可能なのだ。
○「国内産業保護・振興策。あるいは国産主義」: ずっと生産者の論理でやってきたお役所は、国内産業保護にかたむきがちである。管轄業界(この場合は病院や医師、血液バンク、製薬業界、検査業界)の現存体制を変えずにやれる方法を考えて、顧客(患者やドナー)の利便を優先しない。また国産主義(何でも国内から自前で調達したい)の発想が抜きがたくある。
 しかし産業史を少し振り返ってみれば分かるが、政府の保護策で保護しきれた産業はほとんどない。保護でぬるま湯につからされたおかげで、その業界がさらに競争力を失い堕落する場合がたいていだ。不便なサービスを高価で使わされる消費者が損をし、あるいは税金をたくさん納めている好調な業界が保護費用を負担させられるのだ。ただ確実なのは、お役所の仕事だけが確保できるということ。

next

-7-

 海外バンクを有効活用したからといって日本のバンクにケチをつけていることにはならない。日本のバンクが刺激を受けて、さらに効率化するはずだ。
○「官の官僚主義」: 官僚の言い訳はいつもメンツ、対外的配慮、組織の壁、あるいは予算的制約である。解決策を考えたり、実行案を練る前に、できない言い訳を考える。組織内の都合が先で、人命を後回しにする。薬害エイズ問題は他人ごとではないのである。
○「日本バンクの依存性」: 厚生省や赤十字の影響が大きく、独自の企画力や実行力が不足している。財団設立目的を再確認し、それに邁進すべきだ。厚生省や赤十字とは一線を画すべき。顧客を大切にし、その代表として自己主張してほしい。顧客とはまずドナーと患者だ。情報開示や顧客へのサービスレベルが低すぎる。「いろいろと問題が多く、なかなかうまく行きません。ボランティアの皆さまのご協力が必要です」。日本の骨髄バンクの幹部の発言である。謙譲の美徳からの言い方かも知れないが、求められているのは、具体的な改善策を公約し、実行しようとすることだ。
○「国際戦略の欠如。国際標準への鈍感さ」: 日本独自のやり方にこだわって、他のバンクとの「互換性」への配慮が欠ける。
 ここでひとつの寓話を引きたい。「日本のソフトウエア産業衰亡」の話である。とても類似したストーリーだ。

next

 90年代はじめ、日本のコンピュータ産業(日立、富士通など)は米国に追いつくかのように思われた。ハードの性能はIBMマシンに追いつきかけた。日本でIBMを真似たマシンを売り、日本語ソフトを提供して顧客を囲い込んでいればよかった。ソフト開発者の数も急増し、ソフト大国になったかのようだった。ところが追い求めていたIBM帝国は瓦解し、追随戦略は宙に浮いた。ときはすでにパソコンの時代に変わっていたのだ。日本のパソコンはNECのPC98シリーズという「特殊な」マシンが市場開拓を先導した。顧客のソフト資産の蓄積を武器に市場を守ろうとしたが、世界標準システム(ウィンドウズ・マシン)の進攻にはひとたまりもなかった。いまや日本は重要なソフトはほとんど米国から輸入・翻訳したものに頼っている。日本発で世界に広がったものはゲームソフトの除くと数少ない。
 つまりこの教訓は、言語や国境の壁で顧客を囲い込もうとするのは限界がある、国際標準に早く対応しないと、世界の趨勢に取り残されるということだ。顧客は、みんなが使っているものを使うのが、便利なのだ。ここでは多少のスペックの優秀さより、他と容易につながるオープン性が重要になっている。その典型がインターネットの世界だ。
 骨髄バンクも規模のメリットが大きい(登録ドナーが多いほどドナー候補が見つかりやすい)から、オープン性が重要なのは言うまでもない。できるところは国際標準に合わせることだ。日本のバンクは1次検索が有料であること、データベースを赤十字が管理しているなど、創立時の仕組みが日本独自のものになった。思い切った変更がいる。あるいは世界標準とつなげる仕組みに本気で取り組み、オープン性を確保しなければ使いものにならなくなる。独自性にこだわる理由がいかほどにあるのか問うてみるべきだ。そうでなければこれからも続く技術革新にまで取り残される。

next

-8-

4 「日本骨髄バンクへの提言」
◇無作為の罪を避けよう◇
 以下は日本の骨髄バンクをよりよくするためのランダムな提言である。
○組織変更。日赤との連携を向上させる
○情報システム向上。データベースを整備し、日赤と接続し、検索スピードをあげる
○認定病院の医師がインターネット経由でデータベースを検索できるようにする
○コーディネーターの責任と調整スピードの目安を盛り込んだ詳細なマニュアルを作る。コーディネートの時間削減に関して目標を設定する
○1次検索を無料にする
○米国バンクとの提携における「2カ月ルール」の制限を削除する
○ガイドラインだけ作り、個別症例が移植適応かどうかは主治医の判断にできるだけまかせる
○海外バンクでドナーが見つかる可能性を積極的に広報し、移植センターの医師を啓蒙する
○海外バンクでのドナー候補検索のときは、コミュニケーションをスムーズにするため各言語のネーティブスピーカーを活用する
○その他の海外バンクとも提携作業を進める。国際バンクにも参加する
○病院別疾病別移植数などの情報を積極的に開示する

next

○1次検索の結果は、患者が告知されている場合は、患者にも直接知らせる
○保険は国内・国外をとわずドナーあっせんの費用をカバーすべきである。骨髄バンクも当局にそれを陳情する
○運営メンバーの中枢に学会や赤十字から独立した中立的な人材を増やす
○骨髄移植推進財団から親しみやすい「日本骨髄バンク」に名称変更する
○低迷しているドナー増加数を拡大するため、土・日・夜間のドナー登録受け付けをする
○寄付金は使途を指定できるようにする
○ドナーと患者が希望すれば面会できるようにする
 以上のおおよその項目について、その意義に関してはだれからも大きな異論はないだろう。だが、今の骨髄バンクにはどれひとつとして実行が容易ではなさそうだ。発想の転換と枠組みの見直しが検討されるべきだろう。繰り返しになるが、官がよりよい方策を知っていながら実現にむけて努力しないのは、無作為の罪にあたる。仕組みの変更だけで年間数十人の人命がさらに救えるかも知れないのだ。もちろん市民やボランティア団体も、継続的に改善を要望していくべきだろう。
 「日本という国はどこに行くのか。いつからこんなバカな民族になってしまったのか」。今は亡き司馬遼太郎の、官僚主義を批判する慨嘆が思い出される。

next

-9-

5 「外来化=人生の一部としての闘病」
◇闘病の外来化とパートタイム化◇
 「外来化」という言葉がある。へんてこな言葉だが、いま闘病の仕方や日本の医療問題を考えるとき、欠かせないテーマだ。
 「外来」とは入院に対しての通院。手術や化学療法などのとき、できるだけ入院せずに通院ですませようという考え方だ。
 「パートタイム化」という言い方もある。日本医科大学助教授の高柳和江さんはそう呼ぶ。入院して、すべての時間を治療のために拘束されることはない。自宅から必要な治療だけ病院に受けに来ればいい。パートタイム化の考えは入院中にもあてはまる。入院中でもずっと患者らしくしていなければならないわけではない。処置中や苦痛があるときは仕方ないとしても、それ以外の時間は、やりたいことをした方がよい。外出もして、できれば好きなものを食べる。「フルタイム」でない「パートタイマー患者」の勧めだ。
◇入院日数28倍の日米格差◇
 妻の母はシアトルでドナーになる予定の数日前に乳ガンの診断を受けて、ドナー候補から降りた。米国の専門医の診断はステージ1。治療プランは、手術で切り放射線を少し照射するというもの。入院日数は1日ですむとの説明だった。義母は言語の問題などから治療場所に日本を選び帰国、無事、成功裡に手術をすませた。ところがなんと、入院日数は28日だった。
 手術自体はほぼ同じ内容である。すべては順調にいった。だのになぜ1日と28日という大きな差が生じるのだろう。母が米国でかかったワシントン大学のベン・アンダーソン医師は、「米国でも数年前だったら1週間は入院させたかも知れませんね。でも、1日だけにしても何の不都合もなかったのです。鎮痛剤さえのめば自宅で自分でやれます」。米国はここ数年で外来化を進め、1週間から1日に短縮した。日本は依然として約1カ月のままである。

next

 骨髄移植でもそうだ。米国では無菌室を使わず、入院は30日程度。日本はだいたい3カ月は入院し、そのうち10日程度は無菌室に入る。スローン・ケッタリングとフレッド・ハッチンソンで数多くの白血病患者をみてきた。米国のパソコン通信上の白血病患者のフォーラムを数カ月にわたって読んできた。1カ月以上続けて入院した患者さんの話は2、3例しか聞いたことがない。日本では診断から6カ月、1年と継続入院した例がごろごろしている。米国ではがん患者が抗ガン剤による治療を受けたときも、即日か翌日退院ということが多い。「熱が38.4度以上出たら救急車で来なさい」と忠告を受けるだけだ。キモ(抗ガン剤治療)から次のキモの間に退院しないようなことはまずない。
 抗ガン剤治療のあとの主なリスクは、感染症と出血。感染源はほとんどは外部でなく、自分の中にいた菌やウイルスが暴れ出す。だから、入院でも外来でもリスクはあまり変わらない。長期に入院していると逆に院内感染リスクが増える。病院にいても熱が38.4度になるまではどうせ何もしない。それ以上にあがったときだけ抗生物質などを投与する。つまり、それまでは自宅にいても同じなのだ。
 出血リスクは血小板をある水準以上にあげておけばいい。適切な頻度で採血して、血小板レベルが下がったときだけ、通院で血小板輸血をすればいい。フレッド・ハッチンソンでは、近ごろ、血小板輸血が必要とする水準を入院中で「血液10万分の1リットルあたりの血小板数3万」から「同2万」に、外来では2万から1万に下げた。これはこれまでの通説よりかなり低い。しかし、これまで多数の患者で2万でやってきてまったく問題が出なかったから、1万に下げてもいいという判断ができたのだ。
 米国では、「本当に、この患者を病院においておく必要があるのか」という観点から判断される。

next

-10-

 私の妻の場合、96年8月に骨髄移植の前処置を途中(抗ガン剤全量と放射線全身照射の一部がすんだところ)で中止したときも、翌日、退院するように言われた。中枢神経系(脳、延髄、脊髄エリア)で白血病細胞が陽性だったため、移植前に脳に放射線を照射したが、そのときも外来のまま通った。11月、移植の前処置が半分以上進んだあとも、入院扱いのままではあるが外出許可を得た。日本の医師や患者さんは「日本では考えられない」という。でも、あちらではこれが当たり前だ。もっとも、外来といっても連日のように6時間、8時間の治療が続いたときもあった。はた目にみていて入院した方が便利なくらいだったが、看護婦さんも妻も、そんなことは全く念頭になかった。
◇病院の敬老ホーム化とホテル化◇
 「社会的入院」という言葉もある。家に帰りたくない、帰れないから病院にいるということだ。高齢の患者で、治療が終わっても、引き取り手がなく病院を敬老ホームの代わりにして「住んでいる」例が増えて問題になっている(病院の「敬老ホーム化」)。
 しかしこれは高齢者だけに起こることではない。病院にいる方が患者は安心なような気がする。家族も本音でいうと気楽だ。医師も患者の管理が簡単だ。そんな理由だけから入院を続けている部分が多い。総じて日本では「病院のホテル化」が起こっている。自宅がウサギ小屋で窮屈なこともある。昔ながらの家族の役割が小さくなり、自宅で世話をする人がいなくなったせいもある。また、電車のラッシュや交通渋滞などで、通院が「痛院」になってしまうこともある。自宅で病人を介護することに社会の理解が低いこともある。でも、突き詰めれば、入院をそんなに長くする必要はないのだ。
 日本の入院が長い大きな理由が病院の商売上の都合だ。病院は患者を長く入院させた方が売り上げがあがる。売り上げが伸びることと利益が上がるということは必ずしも同義ではないのだけれど、売り上げが経営の最大のモノサシになったままでいる。

next

 次のように診療報酬体系を変更して、外来化を誘導すべきだろう。入院で高度な医療を施したときは病院に利益が出る。入院で「敬老ホーム」「ホテル」的な役割しか果たさないときには、損失が出る。外来サービスは儲かる。−−保険の自己負担率増加などの小手先の策だけでは、抜本的な医療費削減は無理だ。外来化を推進しないと構造問題は解決できない。
 もちろん、コスト削減は外来化のひとつの理由に過ぎない。もっと重要なのは患者の動機づけだ。患者が自分の治癒を信じ、強い闘病意志をもった方が、治癒率が高まるという研究が増えているし、何よりほとんどの医師たちは経験からそれを信じている。外来化は人間性の点からも推進すべきだ。患者を一人前に扱い、自尊心を与えることだ。それは闘病意欲につながる。
◇「あなたのままでいなさい」◇
 およそ米国の病院では「病人らしくしなさい」と言われることはない。むしろ「あなたのままでいなさい」というメッセージを随所に感じることができる。散歩、レクリエーションルームで時間を過ごすこと、外出許可の取得、家族・友人・見舞客との面会などが奨励されるし、制約がなく遠慮もいらずとてもやりやすくなっている。看護婦さんは女性患者におしゃれや化粧をそれとなく奨めるし、患者の服や化粧をよく誉める。多少は介護にやっかいな服をきても、嫌な顔ひとつしない。移植前後でも患者は原則的に自力でシャワーを浴びる。移植後4日目に妻がシャワーを浴びながら、上機嫌に鼻歌を口ずさんでいるのが聞こえてきたのを、覚えている。
 いま「外来化」は高齢者医療だけで議題にされているが、すべての年代で同じことが言える。急に高齢者だけターゲットにしても変えられないし、それは酷というものだ。融通がきく壮年、中年のうちに外来化を常識にしておいて、20年後に彼らが高齢になったとき、外来が自然だと思うようにした方が利口だ。

next

-11-

 なぜ「外来化」ができるのか。簡単ではない。周到な調査と検証が必要だ。退院時に丁寧な説明と教育もいる。フレッド・ハッチンソンでは初診と同時に分厚い2冊のマニュアルを渡される。「どんなときに病院に連絡するか」「救急車を呼ぶべきとき」「点滴の仕方」「衛生管理」などなど、幅広いテーマをカバーしている。患者と介護者は多くのレクチャーも受ける。
 また患者の多くは病院の近くのアパートに住む体制になっており、外来まで歩いて5分程度で行ける。こうした場合、多くの保険がアパート代を一部負担する。病院は外来部門の快適化も進めている。完全予約制度で待ち時間はほぼゼロ。予約コーディネーターがいて、ひとり一人の患者のスケジュールを管理してくれる。入院部門と外来部門の間の調整をする専門看護婦がいて、退院時期が適切か、支援体制が十分か確認する。ソーシャルワーカーも家族の事情や受け入れ体制をチェックする。必要ならば、自宅への派遣看護サービスが手配される。
 日本でも聖路加病院などで模索が行われている。ここでは、入院期間が他の病院の4分の1から5分の1。聖路加タワーという宿泊施設をもち、患者がそこから通院する仕組みだ。もっとも米国なみへのへの道はまだまだ遠い。
 カネは使いようだ。たとえば骨髄移植について言えば、次のような政策の組み合わせが考えられる。不要ならば無菌室を減らし、入院期間は短くする。一方で、看護婦やソーシャルワーカーを増やし、保険カバーも広げる。また長すぎる入院を保険が監視し、外来化のための宿泊費は負担する。こうした組み合わせにより、同じか少ない費用で、よりよい医療が提供できるはずだ。

next

 また社会の啓蒙が大切だ。たとえば40歳のサラリーマンがある病気にかかったとして、入院期間が1カ月から3日に変わったとき、患者をとりまく状況は大きく変化する。入院が1カ月だったときには会社を1カ月半ぐらいは休めるだろう。だが入院を3日としたとき、退院してすぐに仕事に復帰するのは無理で、相当の自宅療養の時間が必要だ。加入している生命保険の特約は入院日数に応じて入院手当を支給するだろうが、自宅療養には何もしないだろう。日本では自宅療養中の患者のために有給休暇を取るのもまだまだ許されにくい雰囲気だ。
 家族の支えや治療への参加は、本来、家族の役割が大きい日本文化が世界にモデルを示せる領域であったはずなのに、むしろ遅れてしまった。日本の病院は、病院システムを輸入した元の西欧より味気なく、人間性がなく、みすぼらしいものになっている。長寿国、国民皆保険制度という誇るべき点の裏に、お寒いばかりの現実がある。医療の質と仕組みの議論がされる前に高齢化社会がやってきてしまい、医療費を削減することばかりに関心がいくようになると、日本の医療はますますおかしくなる。いま本気で挽回しないと、医療先進国との差は開くばかりだ。

next

-12-


目次