1章「オンライン闘病記:僕らの闘いの日々」 | ||
1 まえがき:楽しい闘病を
「白血病です。奥さんが3年後に生きているかどうか、五分五分です」。 |
逆に不快を感じることもある。知りたいことを説明してもらえないとき、医療チームとの間に溝を感じたとき、自分が正当な治療を受けているか不安なとき、話し相手がいないとき。介護者がいらいらするだけでなく、患者の肉体的苦痛も増える。 人間というのは「状況を理解したがる」「自分を理解してもらいたがる」生き物だとつくづく思う。介護者からはそうそう見えても、患者にとってはそうではないと異論があるかも知れない。患者に必要なのは、理知的理解でなく、痛みと感情を分かち合うことだ、と。それは、もっともだ。でも、理解の大切さはやっぱり患者本人にも当てはまるはずだ。 妻をみていていくつか思い当たる点があった。ガン治療には激しい痛みや吐き気などが付き物である。あるとき、妻のこうした症状がある程度は、上のような喜びでコントロールできることに気がついた。 妻の視野には抗ガン剤の副作用で陰がある。また、厳しい治療の後では、激しい疲労感に襲われて、本や新聞さえ読めなくなる。しかしそんなときでも、パソコン通信上の患者の発言集は、長時間平気で読めることがあった。好きな友人が病室に訪ねてきてくれたとき、偉い先生が病室まで訪ねて来てやさしい言葉をかけてくださったときにも同じことが起こった。その前後は痛みや吐き気を比較的訴えない。 お医者さんとの治療方針会議(コンファランス)で、厳しい見通しを聞かされても、十分な説明を受け、かつ治癒可能性に焦点をおいて適切に励ませさえすれば、いつまでもショックが長引くようなことはない。どうやら、患者に闘病の主体になっていると感じさせることが重要なのだ。 中でも大切だと思うのは次の3つだ−−。 ○「患者が主役」。 お医者さんにとって、患者はお客様。患者と医師団は同じ目的に向かって進むチーム。医師・病院にも対等意識で臆することなく接しよう。 |
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○「闘病を楽しもう」。 できるだけ病気について、病院について知ろう。患者同士で話そう。知識欲で闘病意欲をかきたてよう。「理解そのものに、治癒力がある」と信じる。 ○介護者は「介護疲れを介護で取ろう」。 多少の休息は悩みと迷いの時間になるだけで、助けにならない。介護の合間を縫って、日記を付け、調べものをし、頭を整理しよう。さらに人と話をしよう。そして「超・闘病法」の好循環を生もう。そうでなければ寝てしまおう。 「がんと闘うな」。唐突にそう言われても、患者は困るのである。代替案を示さずに、そう言われても、苦しむだけである。あるいは「脳内革命」のお題目を重ねても、気の持ち方がすぐに変わるわけでも、ガンが消失するわけではない。むしろ、正しい闘病のための日々の作業をさぼる言い訳になりかねない。ここでは「超・闘病法」というスタイルを提示したい。 ガンとは闘うべきだ。言うまでもないが、問題はその闘い方なのである。 妻の発病前に、僕は4年あまり海外駐在ジャーナリストとして働いてきた。僕たちの闘病スタイルに、仕事の経験が少しは役立った点は否定できない。「調べる、質問する、記録する」ことが比較的抵抗なくできたことがそれだ。でも、ジャーナリストの特権は一度も使ったことがない。米国、日本各地の有名医師に直接電話やファックスで質問もしたが、職業を名乗ったことも、聞かれたこともない。それでも、どの先生も丁重に答えてくださった。聞きたいことを直接聞く。誰にだってやればできることばかりだ。 |
「米国だからできた。日本の風土では無理」という反応もあろう。しかし、「インフォームド・コンセント」「患者の情報武装」は日本でも急速な勢いで進んでいる。日本も間もなく変わるだろう。すでに日本でも「超・闘病法」を実践している人をたくさん知っている。 道具としてはインターネットがとても役にたった。インターネットで検索すれば、すぐにお医者さんに近いレベルの知識を得ることができる。勉強していることが分かれば、確実にお医者さんの態度は変わる。インターネットを介して、患者同士で質問や知識を交換し、かけがえのない仲間を得ることもできた。 かねがね「インターネット」に対する世間の認識には誤解が少なからずあると思う。「娯楽でサーフ(あちこち漂う)するもの」「ヴァーチャル(架空上)で人間の触れ合いがない」といった見方である。しかし、僕らにとってインターネットとは、文字どおり、生死を分けるかも知れない実用情報を得る場所である。ここで知り合った人々との人間関係はリアルであり、長い付き合いになるのは確実だ。しかも、実際に会うこともある。 この本が「インターネット実用例」のひとつを示すことにもなれば、幸いである。誰にでもできる活用術をできるだけ具体的に書くことに努めたい。もっとも、パソコンなしでも、これに近いことはできるのでご心配なく。 もちろん、知識と情報があったとしても、闘病で勝てるとは限らない。しかし闘病に悔いがあってはならない。「超・闘病法」からしか、これからの闘病は始まらない。そう確信する。 ひとつだけ、付け加えておきたい。言うまでもないが、「超・闘病法」には患者への「完全告知」が前提になる。 |
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2「ガン告知。すべての始まり」
◇告知前と告知後◇ |
翌朝、とくかく家を出て妻をタクシーに押し込んだ。「がん研究所」に行くとは説明していなかった。ただ「スローン・ケッタリング」という病院だと。車を降りると、入り口に大きく「がん研究所」とある。無神経だなと思った。僕は体でそれを隠すようにして、中に入った。スローン・ケッタリングはしばしば全米1あるいは世界1のガン専門病院と称されるところである。研究と臨床を密接に組み合わせた先端ガン病院モデルを最初に確立した病院だ。 その後は、前書きで書いた通り。妻が検査中に主治医のガブリラブ先生が、まず私に告知した。また私は馬鹿なことを質問した。「妻には何と説明しますか」。やっぱり妻が告知に耐えられるとは思わなかったのだ。 「すべてありのままに話します。ただし、治癒率などの数字は今は話す必要はないでしょう」。ガブリラブ先生はきっぱりと言い切る。小柄な女医のガブリラブ先生がとても立派に見えた。 妻が検査室から出てきて、小さな部屋に移り、いやおうなく本人告知が始まった。妻は先生の英語をだいたい理解したが「ルーケミア」なんて言葉は初耳だ。同席してくれた日本人研究員が「白血病です」と訳す。 ガブリラブ先生は妻に手を添えながら、やさしく、でも信念に満ちて一気にこう話した。「白血病です。今ではかなり治る病気です。治せると思いますよ。原因は分かりません。あなたが何か悪いことをしたからでも、夫婦の意見が一致しなかったからでもありません。泣きたかったら、いくらでもお泣きなさい。自然なことです。でも、治すためには一刻でも早く治療を開始した方がいいのです。さあ、このまま入院しましょう」。 手際のよさに舌をまいた。真剣だが深刻ではない。冗談さえ交える。告知しながら、患者にやる気を起こさせる。 妻の反応にも驚いた。少し泣いた。でも取り乱しはしなかった。「分かった。治るのね。子供のためにきっと頑張って治すわ」。逞しさに驚いた。僕だけが状況に着いていけず、取り残されたように感じた。 ぼやぼやしている暇はない。入院手続きをして、身の回りのものを自宅に取りに行き、子供を学校に迎えに行って・・・。やることはいっぱいある。 恐れていた「告知」は終わりではなかった。それは、始まりであり、闘いの前提に過ぎなかった。 | |
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3「患者が主役。スローン・ケッタリング病院に入院」
◇カルチャー・ショック◇ |
考えてみれば、こういう「患者主義」をとっても医療行為に支障があるわけではない。医療スタッフにとっては多少は余計な手間がかかるかも知れないが、患者の闘病意欲が高まって、かつ患者が治療に協力的になれば、むしろメリットがある。 お医者さんも看護婦さんも気さくだ。廊下ですれ違っても、必ず「ハーイ、ケン」と声をかけてくれる。看護婦さんは私服(移植病棟でも!)で、みんな思い思いの服装をしている。忙しいそうだが暇を見つけては、話し相手になってくれる。忙中閑あり、だ。 入院してまず最初に「患者の権利の章典」の説明を受けた。 1、患者は思いやりがあり礼儀正しいケアを受ける権利がある。 1、患者は、患者が理解できるような言葉使いで、医師から自分の病名、 治療法や予後についての情報を説明してもらう権利がある。 1、患者は、自分の診察にまつわるすべてのプライバシーに関して万全の 配慮を受ける権利がある。 1、患者は、病院が可能な範囲で適切な対応をすべきであると、期待する 権利がある。 そんな項目がたくさんならんでいた。 これは新鮮だった。さらには「患者のための代弁者」という聞き慣れないタイトルの人が来て、「何でも困ったことや質問があれば、すぐ呼んで下さい」と電話番号をおいていく。病院の引き出しには常にこの「権利の章典」が入れてある。病院の受付にこのパンフレットが積んであり、病院の玄関わきの壁にはその文面が彫り込んであることに後で気づいた。こうしたお題目は形式に流れたり、空洞化しがちだが、病院スタッフの態度から、米国のがん病棟ではこの精神がかなり根付いている印象を受けた。 そう言えば、スローン・ケッタリング病院での初日。診察の待合い室はこじんまり、かつ、ゆったりとしていて、数人の患者が待っているだけだった。趣味のよい絵が掛かっていて、ショパンのピアノ曲が流れ、銀行の上顧客向けの特別待合い室といった感じ。不安な気持ちの中で、一瞬、ふと落ちつきを覚えたのを記憶している。 「お客さん扱いされている」「とても大切にされている」「患者が王様で主役なんだな」。そう思った。妻と「アメリカの底力だね」と言い合った。米国に4年半住んで米国の素晴らしい点も、ひどい点もいろいろ見た。病院の仕組みは、もっとも素晴らしいことのひとつだと思う。 | |
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4「インフォームド・コンセント:情報公開と自己責任」
◇質問する。調べる◇ |
峯石先生がウィスコンシン州立大学付属病院の骨髄移植チームの助教授に転進し、我々がシアトルのフレッド・ハッチンソンに骨髄移植に出かけたあとも、ずっとこれは続いた。峯石先生はTの「影の主治医」であった。専門用語や医療知識が十分でない我々には、彼なしでは「超・闘病法」の発想は不可能だったろう。 この「超強力化学療法」が今ではかなり標準的なプロトコルであること。なかでも1、2回目の化学療法はありきたりのもの。途中でコースを変えることはいくらでも可能。峯石先生はそうした要点を時間をかけて、あらゆる点から説明してくれた。おおまかの疑問は解決がつき、翌日、ワイス先生への質問はごくごく常識的かつ本質的なことに絞られた。 「これまで何人が参加しましたか」「どれだけの方が生存していますか」。前者はワイス先生がその場で教えてくれた。後者は「把握していないので、このプロトコルの主任であるバーマン先生にきいてみましょう」と言われた。「そんな重要なことが頭に入っていないのか。どの患者でも聞きたくなる質問だろうに。でも正直で率直だな」と感じた。この答えはのちにバーマン先生に直接会ってきくことになる。 米国では医師は患者の質問にできるだけ答える。少なくともその姿勢は見せる。自分で答えられないときは、知っている人から聞いてきて伝えるか、その人を紹介するのが当然になっている。 こうして僕の「質問をする。調べる」という道が始まった。米国のお医者さんたちにも、「けっこううるさい奴だ」と思われていたようだ。「君はなかなかしつこくて、特に数字にこだわるね」などと、冗談めかしてイヤミを言われたこともある。でも、米国ではこのレベルはごまんといるし、数段上の猛者がいっぱいいる。3章で詳しく書くが、英語の世界では、やる気さえあれば、集められる情報の量と深さは無限に近いからだ。 | |
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5「ガンとの闘いは情報戦」
◇柔軟な対応と一貫性の確保◇ |
正しい選択は、可能かどうか分からないが、できるように頑張るしかない。後悔しない選択は、かなりノウハウで会得できるのではないか。 闘病過程でパソコン通信でいろいろとアドバイスをしていただいた日本の内科医の先生がいる。彼は「喪主が納得がいく選択を」がモットーで、私にもそれを勧めた。これは最悪のときを考えておくこと。残された人、中でも喪主になる人がそうなったとき後悔しないという観点から治療方針を決めるということだ。 この秘訣は医者にとって、患者家族から後から苦情を言われたり恨まれたりしないために、大切なことだと思う。「納得がいく選択」というところには完全に同感する。だが、「喪主が」という部分には、患者に告知することが少なかった時代のにおいが残っている。患者本人には何も知らせず、回りが相談して決めることが普通だった時代・・・ 告知の時代には「“患者が”納得いく選択」が第一だろう。ガン治療の選択は運命と生死の選択だ。誰もが納得できる正解はない。これは患者本人しか責任が取れない選択である。回りで独断で決めてうまく行かなかったときは、その人が一生苦しむことになる。患者にできるだけ情報を集め、患者本人といっしょに決める、しかない。僕は番頭役に徹することにした。別の見方をすると、「非告知」は患者家族と医師に負担が掛かりすぎる。だからといって、患者がその分だけ楽になっているとも限らない。 「お医者さんの言うとおりやれば良い。そんなに一生懸命やっても、結果は同じではないか」と思うなかれ。「超・闘病法」によって、治癒は保証できないにしても、選択する治療法が全く変わりえる。お医者さんは完璧ではない。お医者さんによって意見は違う。そして、お医者さんも「情報収集」によって方針を変えていく。 話が少し抽象的になった。次回は、我々がどういう過程で「フレッド・ハッチンソンがん研究所での非血縁ドナーからの骨髄移植」を選択したか。具体的な応用問題として示していこう。 | |
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